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旧ディジョン日記(移転しました)

以前フランスの地方都市ディジョンでフランス語を学んでいました。

Tour という単語について:ラ・ロシェルを旅した思い出に寄せて

 ツイッターとFC2を連動させてみました。今後つぶやきが記事になる…はずです。まぁ大したことはつぶやいてません。ツイッターはコミュニケーション・ツールというよりも、僕の場合は情報収集に使っている場合が多いです。日仏のメディアをフォローしておくと、ツイッターで見出しを見ることができるので便利ですね。まぁ、頻度は多くないですが、極めて個人的なつぶやきや、かなり毒を含んだつぶやきなんかがブログに載ると不都合だなぁと思うことがあれば、この機能は外すかもしれません。ま、様子見です。

 今日の話。

 フランスでした旅(2011年)のことを思い出すようにして書くのもありだなぁ…と最近思うようになりました。2005年が引き金となった、「都市暴力 violence urbaine 」のことについてばかり書き散らすと、何だか暗い気分になりそうですから…。

 ツイッターの方で写真を少しUPしてて、思い出したことあったので、忘れないうちに記しておきます。

 ラ・ロシェルという町を訪れ、観光していた時のことです。

 ラ・ロシェルというのは、大西洋に面した港町です。昔の防衛戦略といえば、海からの敵に備えるのが第一だったんでしょうねぇ。大西洋海岸には、昔の石造りの要塞(Fort)がいくつも残っています。ラ・ロシェルも重要な商業港・軍港として機能していたようです。

 その旧港の風景がこれです。矢印の方向に向かって大西洋が広がっています。
 ロシェル
 現在は観光船・遊覧船またはヨットなどがこの港から出ています。さすがに大型タンカーなどの近代的な使用には耐えうるものではないですね。

 もう一枚。
 rocheeeeleee.png

 さて…この旧港の防備の為に、港湾付近には3つの塔が建てられています。そのうちの二つがこれ↓
 deux tours
 建設は存外古く確かどちらかが14世紀頃の起工だったと思います。つまりイギリスとの百年戦争の時代にこの町が係争地となり、軍備増強を図ったわけです(しかし、フランスかイギリスか、どちらがこの砦を建て始めたのかは忘れてしまいました)。

 確か右側の塔だと思いますが…これ凄いところに建っているでしょ。地盤の軟そうなところ。んで、今の技術ならどうか知りませんけど、やっぱりこれだけの自重のある建物を建てるとなると相当の基礎工事をしないといけないでしょ。中世の人たち、地盤が軟そうなことへの対策はある程度とっていたんですが…、まぁそれでもダメだったみたいで、この塔沈んでいて…傾いているんですよ。中に入れば分かります。入ってすぐは気持ち悪くなるかもです。

 残る一つは灯台の役割を果たし、後に捕虜(主にイギリス人だったと思いますが;しかし百年戦争の捕虜ではなかったと思います)を収容する施設として利用されたそうです。それがこれ↓気に入りの写真なのですが、夕暮れのためちょっと見にくいですね。
 trois tours
 右下の方にも、さっきの二つが映っています。

 さて…タイトルにある Tour という単語ですが…

 僕がこの塔のどれかを訪れた時、3枚綴りのセット券を薦められました。記憶が曖昧なのですが…確かこんなことを言われたはずです。この時、僕は勘違いして思わず聞き返しました。

 Ce billet permet de visiter trois tours.

 この文意はさておき、僕は「この券で3周訪れることができる」と勘違いしました。

 さて…ここで問題。

 この文の正しい意味と、僕の勘違いをフランス語の観点から説明してみてください…

 正解は白字で↓に書いてあります。(以下をコピーしようとすると見えるようになります)
 正しい文意:「この券で3つの塔を訪れることができる」
 勘違いの原因:フランス語の Tour には女性形と男性形があり、意味が違います。女性形だと「塔 la tour」を意味します。男性形だと「回ること・周 le tour」を意味します。僕の勘違いは、男性形の tour だと思い込んだことにあります。

 いやぁ…今思い返してみると La tour Eiffel エッフェル塔にも行っていたのになんで間違えたんだろ…。しかも受付の人に思いっきりバカなこと言ってたような…、「trois fois de va-et-vient ? (3回行ったり来たりってこと?)」とか言ってたような気がするなぁ…

 ↑ここまで回答。

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ルイ14世の偉業その2:ロシュフォールの基礎

 ロシュフォールという小さな町について書いているわけですが…ルイ14世の話に戻ります。ロシュフォールの発展の基礎は、1666年にこの建物を建てたことに端を発しているのですが…さて、この建物、何を作っていたかお分かりになりますか?ヒントは、この港は軍港であって、船には絶対に欠かせないものを作っています。

 とにかく長い。ま、写真2枚は見て頂きましょう。
Corderie2.png
 全長は300メートル以上だそうです。平屋建ての建物です。

Corderie21.png

 勿論今現在は機能しておらず、博物館になってます。確か、記憶によれば(なので不確かです)1926年か27年までは使われたはずです。その後、ナチスドイツの占領期に、燃やされてしまい、現在のこっているのは、復元作業の末に出来たものだそうです。
corderie4.png
 ↑中はこうなっています。これで分かるかな?



 
 この建物は La Corderie Royale と言いまして…こりゃ対応する日本語があるんですかね?ちょっと分からないのですが、要するに↓を作るところです。
corde.png
 ですね。帆船には特に欠かせないでしょ?

 ちょっとて反射があって色も薄いので見にくいかと思いますが…当時の様子を伝える写真です。
corderie.png
 確かに巨大帆船に使うようなロープともなると、長くて太くて重いものになるのは予想がつきます。となると、川岸に作った方がいい…ということになるんでしょうかね。実際川辺にあります↓
corderieeacute;
 
 昔の作業の様子↓
corderie45.png
 どうもこの図を見てる限りでは、300メートルという長い建物の必要性がよく分からなかったんですが…(というのも残念ながらこの重要な建物を閉館まで残り1時間という追われた状況で見たのがいけなかった)。しかし、極太の長大なロープを作ろうとなるとそれなりの空間が必要なのは確かでしょう。

 冒頭から数えて3枚目の写真にも映っているのですが、鉄の塊の機械と、電車みたいなレールと枕木が見えるでしょ?別アングルから見てみますと…
machine.png
 こんな具合。

 これはどうやら、こういう風に使ってみていたようなんですね…。これは海軍資料館にあった模型です。
Corderie5.png
 どの時代に使われた物品であるのか、失念してしまいましたが、こうやって一本の丈夫なロープを作っているのなら、この建物の長さも必要なのかなぁ、と思いました。

 ま、僕の拙い写真より、HPに飛んでもらった方がいいかもしれませんね。勿論フランス語サイトですよ。
CorderieのHPはこちら
 

 ちょっと歴史の話。

 この建物見て、僕は、ルイ14世の親政期には、「財務総監コルベールが重商主義を推進した」という世界史の教科書記述を思い出したんですよね。

 まぁ…歴史の専門家ではないので、まとまったことは言えないし、よくわからない部分も多いのですが…

 この時期、なぜ1666年に軍港ロシュフォールの建設が始まったか、というのは、重商主義政策の一環です。

 重商主義というのは、要するに貿易差額主義といいまして、貿易の差額で、お国の収入を増やそうというものです。いろんな要素があるみたいですが…、自国の商工業を保護し、植民地の商工業の発展は抑えて…などなど。

 あるいは、フランスの東・西インド会社が1664年設立という事実を考えてもいいかもしれません。尤も、フランスのは、はかばかしい成果を挙げた…とは決して言えないようですが。

 イギリスの例を言えば、この政策の一環として航海法なるものがあったそうですね。自国製品は自国の船じゃないと運んではいけないという法律です。これは明らかに敵を作る法律ですね。というのも、ヨーロッパ世界の貿易港といえば、アムステルダム――オランダだからです。オランダを排除しようという意図は明け透けな法律。事実1660年イギリスとオランダの間で戦争が起きます。

 また、植民地の統制ともなると、やはり海軍力は必須なんでしょう…。

 こうした時代背景にロシュフォールという町は作られたのでした。

 同じルイ14世で比較が許されるなら、ま、ヴェルサイユより僕はこっちの方が、当時の社会構造が垣間見れる気がして好みですね。

 
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こんな橋見たことある?

 4月の末の話なのですが、まだ書いていないことが残っていますのでそれを更新。

 4月末。まだフランスに居た時でございます。
 ロシュフォールという町に行ったといのは、覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。その町の話。

 早くルイ14世の話の続きをすべきところなんですが、ロシュフォールのおさらい、というか、別の視点から紹介しておいたほうがいいと思いますんで、この橋の話をします。

 まずは、おさらい。ロシュフォールといえば、こんな町でございます。これはある施設の物販コーナー。
Corderie1.png
 昔の軍港として栄えた町です。

 船の町…ということを念頭に置いて頂いて…↓これは何だと思います?
Rochefort1.png
 ジャック・ドゥミ監督の映画「ロシュフォールの恋人」の冒頭で、この建造物が映っているとか聞いたことがあるのですが、僕はまだこの映画見ていないので、残念ながらわかりません。

 名をば、Pont Transbordeur de Martrou とのたまいまして、要するに橋なんですが、これにはよく考えたなぁと唸らされました。建造は1900年らしいです。ロシュフォールは軍港だったので、大型の船が河をつたって内陸部まで入り込んでくる。そこで橋脚も自然と高いものが必要になる。そこで建てられたのがこの橋というわけ。上の写真には、ワイヤーが見えますよね。これでゴンドラを吊って、ゴンドラをレールか何かで移動させて向こう岸に渡すという仕組みです。ゴンドラは上の写真では左下の隅に頭だけ映ってます。

 これは有料。僕は時間の都合上乗る機会はなかったのですが、どうやら車も運べるようです。ただ40ユーロくらいとられるみたい。

 これがそのゴンドラ。自動車も運べそうでしょ?
trans2.png

 見上げるほどの高さ。
trans.png

 もう一枚。
Trans3.png

 この辺にあります。グーグル地図を拝借しました。
le plan de rochfort
 小っちゃく赤丸を書きました。これ、グーグルの航空写真で見ると凄いですよ。河にくっきりと影が出ています。影が途方もなく大きいですから。興味ある方は、→Pont Transbordeur de Martrou← これをコピーして入れて見てみてください。

 ちなみに、すぐ近くにD733号線が通っていて、この橋脚も高いです。
Rochefort2.png

 エッフェル塔も同じくらいの時代の建造物なんですよね。100年も前にこんな橋とあんな塔があったなんて、自分にとっては驚きでした。さすが…英国と覇権を争った国。

 おまけ…というか次回予告。次はロシュフォール発展の基礎となった、この建物について。アングルは違いますが、同じ建物の写真を二枚。この建物はやたら長いですが、なんの目的で造られたのでしょうか?船には欠かせないものだった…というのはヒントです。
Corderie2.png
 ↑↓サムネイルなのでクリックお願いします。
Corderie21.png

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 あ、そうそう。ツイッターの方全然使ってなかったですが、ブログに載せていない写真をアップするのに最近使い始めました。写真が切れるまでは続くと思います。ツイッターは一言コメントだけですが、合わせてご覧ください。

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ルイ14世の偉業といえば…その1

 ロシュフォールの話をする前に、この話をしときます。続けてロシュフォールのことを書くつもりなんですが、この記事には「その1」とタイトル付けました。つまり、どちらもルイ14世がらみの話なのです。まとめてしておこうというわけです。

 時はえらく遡りまして、今年2011年の2月1日。フランスといえばっ!!という土地に行っておりました。

 Versailles ヴェルサイユ宮殿でございます。

 なぜリアルタイムでブログにアップしなかったというと、理由は2点。僕の好みではないことと、冬という季節のせいで写真がすこぶる良くないという点です。

 ルイ14世と言えば、「絶対王政」というほど絶対的な権力をふるった王様。建設の動機は、色々あるでしょうけど、一つにヴェルサイユの政治的効果として挙げられるのは、ルイ14世の幼少期に起こった貴族の反乱であるフロンドの乱(1648~53年)の影響があると言われています。この時以来、ルイ14世は貴族不信になったという訳。ヴェルサイユに貴族を集め、そこに住まわせ、その動向を常に監視する。まぁー日本にも、参勤交代なんて似た制度がありました。江戸に妻子を住まわせて、人質ですな。
Louis 14
 宮殿の着工は、1682年。ご存じのように、ルイ14世は幼い頃から王位についており、この間はマザランが、いわば摂政のような役割をはたして、政治の実権を握っておりました。この状態は1661年まで、つまりマザランが死ぬまで続きます。マザランが死んで、ルイ14世は親政を開始します(というより、目の上のタンコブが晴れて消えて、暴走を開始した)。ま、次回更新するつもりののロシュフォールの発展の基礎を築いたのはルイ14世なんです。ルイ14世の鶴の一言で、今のロシュフォールという町があると言っても言い過ぎじゃない。
 
 ま、ともあれ、寒そうな写真を見てくださいっ。
porte de Versailles
 2月1日です。なんともはっきりしない天気。
versailles.png
 ↑夏なら光り輝いてるはずっ!!まぁ、その分観光客はこの比ではないはずですがね

 結構窓を大きくとってあって、自然光の採光は室内の印象を大きく変えてしまいます。
versailles 2
 これもちょっと残念ではある。

 ↓有名な鏡の廊下。ここも晴れた夏の日差しだったら絶対見栄え違うよなぁ。
miroir.png
 んー僕には、この施設は見栄っ張りのルイ14世が自分の虚栄のために作ってるとしか思えないな。「虚栄」っていうのも、財政状況は火の車のくせにこんなもの作るから。革命の一因となってしまう。ま、そういう意味でさっき書いた通り、僕の好みの施設ではないんですね…。

 庭。整然とシンメトリーにつくられたフランス古典主義の庭。
nininiwa.png
 いやぁ…曇ってるというか、遠くには靄がかかってるなぁ。

 庭園は広大なので、こんなものもあります。
bus.png
 バスというか、列車というか…。乗り心地は残念ながら最悪でした。石畳をペラペラタイヤで走るので、かなり上下に揺れます。乗り物酔いに苦手な人はご注意。

 庭園内にはいくつか離れもあります。
le palais
 昔は、この庭で演劇などが催されたみたいですね。ちょっと舞台っぽいでしょ。

 ちょっと鄙びた雰囲気のところもあるのですが、この家も「女王様の家」だったと。こんなところで遊んだ…みたいな看板があったんだけど、ほんまかいな…
niwa.png
 どーでもいいですけど、2月のこの時期にヴェルサイユの庭園を回るのは苦行かもしれません。この日、多分日中でも氷点下だったんじゃないかな。池という池の表面には厚さ3センチはあろうかという氷が張っていたのを記憶しています。もし、この時期の旅行を企てる方は、ご注意ください。
 
 おまけ。領内には牛もいました。
vache.png
 ブドウ畑なんかもさらりとありました。

 まー…ちょっと手抜き感あるけど、これでヴェルサイユ宮殿には行ったということにしておきます。



 言葉の話。半年以上も経っているんですが、こんなやり取りをしたのは覚えています。

 駅から降りて、どっちの方向か聞くためにとりあえずバス停で待っていた人に道を尋ねたときです。

僕:Quelle est la direction de Versailles?
 (ベルサイユの方向はどっちですか?)
おっさん:Ici.
 (ここだよ)

 要するに、僕はやらかしてしまったのだけど、Versailles と言えば町全体のことも言います。そりゃそうだ。「ここだよ」と返ってくるのも当然。まぁ、アジア人だし、観光客だってことくらい察知はしていて、なおかつすっ呆けやがったんじゃないかなと思います。いずれにせよ、ミスはここで終わりじゃないんです。

僕:J'aimerais savoir où est le palais de Versailles.
 (ヴェルサイユ宮殿がどこにあるか知りたいんです。:←と言いたかった)
おっさん:(間があって、「ああ」という顔をしてから)Château?
 (城かい?)

 僕、おっさんに言い直されて、気づいたのだけど、ヴェルサイユ宮殿は、le château de Versailles と言って(無冠詞になるのに注意)、palais とは言わない。ずっと Palais だと思ってました。Palais と Château には違いがあるみたいなんですが、よーするに庭付きでデッカいのを Château と呼ぶらしいです(古典時代以降)。辞書の上ではやや煩雑な区別があるみたいですね。興味ある方は大き目の辞書を引いてみてください。

 どーでもいいですが、Versailles というのは、女性名詞で、これで複数形です。この名詞に形容詞をかけることはあんまりないと思いますが…一応ご注意を。

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驚異の砦 le Fort Boyard

 久しぶりの連日更新。
 
 ちょっとフランス語の話から。あるフランス人と今回の旅について話していたとき…

 「ロシュフォール(Rochefort)に行ってきた」というと、その人はロシュフォールには行ったことがなく、この町何があるのか、ということが話題になりました。そこで、そのフランス人は、ロシュフォールという名前からすると、「砦があるのか?」と尋ねてきました。

 Roche は「岩」、Fort は「砦」

 Fort には勿論、形容詞で「強い」という意味もありますが、Le Fort という男性名詞で使われる場合には、「砦」という意味になります。この場合はそれです。ロシュフォールは言うなれば、「岩の砦」という名前になるでしょうか。

 今回は、タイトル通り「砦」の話です。まずは地図を見ていただきましょう。
le plan
 前回の記事で話題にした海軍資料館では、この一帯にかなりの数の砦があることが確認できます。しかし、僕が行って実際に見た砦の数は多くありません。この地図に印をつけたところのお話になります。ロシュフォールでは砦を見なかったのですが、まぁ起点になった町なので印をつけておきました。わざとらしくアイコンが立ててあるのにはご注目ください。ここにも砦があります。

 4月28日のこと。ロシュフォールを出て、フーラ(Fouras)という町に向かいました。そこからエクス島(Ile
d'Aix)へと連絡船に乗るつもりでした。

 これは、そのフーラ近辺で撮った写真です。
la vue lointaine
 右手側に砦が見えますが、中央やや左よりに、うっすらと建造物の影が見えますよね(矢印つき)。地図でアイコンが立っているのがこの砦です。

 先に↑の写真の右手に見える砦から。こんな形状をしています。
le fort
 これは、エクス島に向かう途中に撮影。

 フーラにも立派な砦があります。
fouras.png
 町並みと一緒に…
fourass_20110523161328.png
 中は資料館になっていて、入場可能なのですが、時間の都合上訪問はかないませんでした。

 エクス島は、島全体が砦のようなものなのかな…。
ile daix
 連絡船が接岸した桟橋付近の光景です。

 また、エクス島の真ん中には、隠れるように砦が建っています。 
le fort ledot

☆☆☆
 
 と、まぁ幾つも砦があるのが確認できるんですが、一番驚きの砦はやっぱりこれでした。

 Le Fort Boyard
fort boyarddd
 前回の記事で予告しておいたこの建造物です。この建造物の存在を知ったのは、ロシュフォールの資料館でしたが、実際にこれを見たのは、ラ・ロシェルに戻って見ることになりました。ラ・ロシェルから遊覧船が出ていました(往復2時間30分ほどのコースです)。ロシュフォール付近でも遊覧船が出ているのかもしれませんが、詳しくは分りません(あったとしても、時間的な都合で乗れなかったと思う)。

 今回の旅は、ラ・ロシェル→ロシュフォール→ラ・ロシェルというコースをとり、先にロシュフォールで少し知識を仕入れていたために、ラ・ロシェルで迷わず遊覧船に乗るという選択が出来ました。
 
 まぁ、何はともあれ、見ていただきましょう… 
fort boyardd
 島の上に建っているのではなく、ホントに一番上の地図でアイコンを立てた通りに、海のど真ん中にあります。
fort boyard
 フランス語版ウィキによると、大陸との連絡を断った状態でここで250人の人間が2ヶ月過ごせるだけの収容力があるそうです。

 着工は1804年、途中中断を挟みつつ、完成は1857年とのこと。どうやって建てたのか気になりますが、そこは未だ勉強不足です。

 ただね、フランスらしいっちゃフランスらしいんだけど…この建物、エクス島とオレロン島の間の大砲の射程範囲の死角をカバーするために作られた建物で、砲座としての役割を期待されていたんだけど…
完成してみたら、大砲の性能があがっており、この砦なしでも射程範囲の死角をカバーできるようになっちゃってた!!
という、オチがついてます…。あれま…。その後は、1870年の普仏戦争の時には、既にプロイセン兵士がここに監禁された――つまり監獄として機能したようです。まぁほとんど逃走不可能な監獄ですね。

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