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旧ディジョン日記(移転しました)

以前フランスの地方都市ディジョンでフランス語を学んでいました。

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旅日記番外編:トゥールーズのクリスマス市

本文とは関係ない話題から…

ブログタイトルを変えました。開設当初は細々とする予定だったブログでしたが、コメントも残していただけるようになって、段々アクセスアップが楽しみになってまいりました。意識が変わってきたわけです。そこで、半年以上経って、今頃かよっ、て感じですが、「ブログタイトル地味すぎないか?」と気づきました。多分、多くの人が、このタイトルだけを見て、「ディジョンって大体どこだよ?!」、「しかも平仮名で『にっき』って小学生かよっ!」、って思っているに違いない、ということに今更気づいたのです…。そこで、インパクトのあるタイトルに変えようかと思い至ったわけです。多少不遜であるのを承知の上で、サブタイトルを加えました。サブタイトルに見合うように今後フランス語学習のトピックも増やして行こうと思います(逆に読者様減ったりしてね…)。

さて、本題。といっても写真アップするだけなんですが、旅日記番外編として、トゥールーズのクリスマス市の様子をアップします。

クリスマス市とは?フランスでは、各地の都市で、12月頃の初頭くらいから、12月いっぱいの間、町の広場で市場が立ちます。ディジョンにもあったのですが、ふーん…くらいで写真には収めなかった。規模が小さかったんですよね。今回の旅のほぼ全ての都市に市が立っていました。中でも一番規模の大きかったトゥールーズの市の写真を中心に旅日記の締めくくりとします。クリスマスを過ぎても、つまり12月25日以降もやっているところは多く、何日までやっているのかは正確なところよく分りませんでした。30日に戻ってきたら、ディジョンは見事に撤去されていましたが…。

以下は12月27日の写真です。この日は最高気温が5度以下じゃなかったかな…比較的寒い日だったと思いますが、それでもフランス人たちは外に出てきますね。
la nuit de Toulouse
日本の縁日とイメージとしては近いと思うのですが、縁日よりもしっかりとした小屋を立てています。まぁ期間が長いから当然だよなぁ。テキヤみたいな職業が、フランスにも存在するのか、どうかはよく分りません。
ojityan.png

商い中をちょいと失敬。
lumiegrave;re

これはバナナの形をかたどった何か。お菓子だとは思いますが…
bananas.png

これ、フランス料理ではないと思うんですが、良い匂いしてたので撮っちゃいました。
hot dog

ついでに、教会にもご登場いただきましょう。ライトアップされてて綺麗でした。
eglise toulousaine

最後に…ちょっと注意。トゥールーズの宿に入ってすぐのこと、ホテルのフロントで「○○一帯は夜女の子が独りで入っちゃいけないところ」と注意をされ、地図にその一帯を図示してもらいましたました。トゥールーズは、それまでの町に比べては格段に人が多く、まぁ言うまでもないことかもしれませんが、治安の悪いところが存在するのは確かなようです。一人旅の場合、ホテルや観光案内所で確認してみたほうがいいと思います。

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「ヨーロッパ情報」は外しちゃいました…。

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教皇の住処の風景 旅日記:2010年12月29~30日 アヴィニョン3

結局、寮のサーバーのせいではなく、僕の書いた容量が大きいらしく、記事を3分割することで、この問題を回避しようと思います。従って、書いた順番としては1→2→3ですが、1は異色の内容なので、順番としては、2と3からでも構わないな、と思い、書いた順番と逆に3→2→1と見えるようになっています。

アヴィニョン。天気のせい、もっと見回れるところがあるのに時間の足りなかったせいもあって、いまいち物足りない写真ばかり残りました…。出来るだけ脱線してみようとしたところ逆に長すぎになったわけです。

教皇庁内部。写真がパッとしないのしかないのは、理由があります。
dans le palais 2
入館料、一般で10.5€もします(各種割引があるので、確認してください)。一見すると高い!とは思いますが、実はオーディオ・ガイドのレンタル料が込みの料金なんですよね。まぁ、それなら良いかな…って感じでしょう?しかもオーディオ・ガイド、日本語版もある!これは大きいと思います(聖ベネゼ橋も同様に割高な料金をとられますが、オーディオ・ガイドつき、日本語版あり)。このオーディオ・ガイドは教皇庁に入ったら絶対にとりましょう。

なんで、オーディオ・ガイドが必要か?

実はここは、視覚的にはあんまり面白くないんですよね…。僕たちが、アヴィニョンの前に、でっかい城塞(カルカソンヌ)とでっかい橋(ポン・デュ・ガール)を訪れているという引き算が働いているのもありますが…。しかし、教皇のお住まいなのだから、さぞかし壮麗なことなのだろう!と思っていたら、肝心の装飾、家具、調度品、ほとんどなし!あるのは、フランス語文章の解説のプレートが配置されているのみ!これは、フランス語が読めない人にとってはキツイ…だからこそ、オーディオ・ガイドが必須となるんですよね。片手と片耳が常にオーディオ・ガイドを保持するためにふさがりっぱなしになっちゃう。あんまり写真、写真、という感じの見学にはならなかったのが事実です。
dans le palais
そういうわけですので、教皇庁を個人で訪れる際には、時間に余裕を持って行った方がいいと思います。オーディオ・ガイドの内容は、かなり豊富です。果てしないんじゃないか…と思うくらい。ちゃんと全部聞こうと思ったら、3時間以上かかるんじゃないかなぁ…。僕も全部は聞き取れていないんです…。
palais des papes dedans
壮麗だったはずの教皇庁がなぜこんなに殺伐とした印象を与えるか。この事情は、教皇が去った後の歴史に求められます。大まかに教皇が去った後を追いますと、教皇が去った後、この地はイタリアから派遣された聖職者、つまり教皇の特使の手に委ねられます。1413年には大規模な火災が発生し、かなりの部分が焼失してしまうらしいのです。今も宮殿内の至るところで、焼失してしまった天蓋が木造で組みなおされていることが確認できます。
しかし、さらに面白いのは、フランス革命以後の歴史です。イタリアからの特使は、革命勢力によって追放されます。革命勢力は、宮殿をどの様に利用したかというと、革命に敵対する者たちを監禁する牢獄として利用します。これを背景として、宮殿は「氷室塔の虐殺」(原語は忘れてしまいました)と呼ばれる事件の舞台となります。60人ほどが、ここで殺されたそうです。ナポレオン戦争が終息した後の1821年から、この「監獄」は、軍人たちの兵舎として利用されるために、「改造」という名目において、破壊を被ったようです。この無味乾燥の殺伐とした空気は、冬のせいだけではないのでしょう。監獄・兵舎という歴史もある。

つまり、この遺産は、話を聞きながら、ガランとした空間に歴史の痕跡を見つけていく…という見方をしないと面白くないんですよね。

長くなりました。

最後に、アヴィニョンからリヨンを経由し、ディジョンに戻りました。
tel_20110109161002.png
僕らの今回の旅行は、順番で言えばアヴィニョンが最後、これで終わりです。

しかし、旅日記は終わらないっ!!! 大した写真なかったなぁ、と思って飛ばしてしまったトゥールーズの夜の写真たちも捨てたもんじゃないな、と思い直したので次回トゥールーズについての写真をアップすることを中心に番外編を作る予定です。「歴史的遺産を訪れる」という今回の旅の大筋からは外れているんだけどね。

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アヴィニョンとローヌ川 地理的条件 旅日記:2010年12月29~30日 アヴィニョン2

なぜ、この街が繁栄したか?繁栄のキッカケのひとつに教皇の移住があることも事実なのですが、それ以前の繁栄に地理的な条件が挙げられます。まず地図を見てみましょう。グーグルマップから拝借。
plan.png
アヴィニョンは、ローヌ川を通じて、地中海に出ることが出来ます。ここは交通の要衝として早くから国際的な都市として、商人たちが行き交ったようです。今でもフランス有数の都市のひとつ、マルセイユ(ラテン語名はマッサリア)との通商関係も結ばれていたようです。

なお、アヴィニョンの対岸には、Villeneuve les Avignon という町が広がっています。Villeneuve は、訳すなら、「真新しい町」、要するに「新市街」というわけです。その名前に背き、この町にも歴史的遺産が広がっています。元は、アヴィニョンの劣悪な環境を嫌った枢機卿たちがこの地に町を築いたのだとか。Villeneuve からも、教皇庁を臨むことが出来るようです。僕たちは、時間の都合上行くことが出来ませんでした。アヴィニョンに滞在する予定のある人は、Villeneuve まで視野に入れるといいと思います。

また、戦略・防衛の面でも、重要な自然の要塞として、ドン岩壁の存在が挙げられます。ドン岩壁はローヌ河に近接し、自然の要塞を築いていたようです。このドン岩壁を中心として、街は発展していきます。教皇庁があるのもこの岩壁の上です。
trou.png
こんな感じ。矢印をつけたのは、現代になってから開通したトンネルです。この岩壁の歴史的重要性を理解してかのことかどうかのは分かりませんが、一応開通した年号が記銘されていました。

さて…、ポン・デュ・ガールの観光から、アヴィニョンの街の中に入ったのは夕方から夜にかけて、でした。とりあえず、夜の教皇庁を訪れることにしました。「最大のゴシック様式建築」と呼ばれるだけのことはあって、威厳を感じられたのですが…
palais des papes
しかし、何かおかしい、違和感がある…、と思ったら、原因はこいつでした(赤矢印)。これ、何だと思います?


eacute;leacute;phant
ゾウ!しかも何故か逆立ちしてるし!教皇庁の前の広場にドーンと逆立ちされてもなぁ…。よく分らんわー…フランス人のセンス。そういや、このアングルで教皇庁を臨む広場では、夜に若者たちが、音楽をかけながら、ブレイク・ダンスの練習をしていました。ヨーロッパ中世最大の権威の象徴の前のひとつで、ブレイク・ダンス。この対比が面白かったのですが、残念ながら写真には収めませんでした。彼ら地元民にとっては、遺産と共に暮らすのは、当たり前のことなんだよなぁ…なんて思ってしまいました。まぁ、これは京都や奈良の他、日本の何処にでも言えるか。

次の日。ローヌ川対岸に渡ってみて、アヴィニョンの街を一望してみました。
avignon 2
天気がなぁ…、この辺もヨーロッパは観光に限れば、夏がいいと言われる所以でしょう。
avignon.png
聖ベネゼ橋(アヴィニョン橋)を臨むアングルで一枚。ドン岩壁の戦略的重要性がよく分るかと思います。

聖ベネゼ橋。
saint benezet
この地を交通の要衝として北方の陸地とのアクセスのために作られた橋です。1226年、アルビジョワ十字軍の際に、橋の第4アーチまでが壊され、それ以後も修復が試みられますが、ローヌ川の度重なる氾濫のために、17世紀にはこの修復が最終的に放棄されたそうです。
pont de Saint Beacute;nezet
しかし、この静かなローヌ川を見ていると、また、堤防の低さを考えると、この川が氾濫するというのは、どうも日本人の僕には想像しにくい。そんなことを考えている時に、ある日本人が同じような考えを述べている文章に出会ったので、引用しておきます。その日本人とは、和辻哲郎。もっとも、これはイタリアの河の話ですが…

大雨がいかに少ないかを示す直接の証拠は河の堤防である。大雨によって急激に増水する怖れのあるところには、堤防は高く頑丈に築かれる。しかし自分はこの種の堤防をほとんど見たことがなかった。イタリア第一の大河たるポー河は、なるほどその下流においては堤防を持ってはいる。しかしアルプスの湖水から流れ出て水量の豊富をもって有名な大河としてはあまりにも貧弱な堤防であった。(和辻哲郎『風土』岩波文庫 p.110)



滞在中にそのポー河が洪水を起こしたというので、和辻は見に行って、次のような所感を続けます。

(洪水のあまりに緩やかな様子について)なるほどこれも洪水には違いない。浸水した畑や牧場は、排水困難のために、全然荒らされてしまうであろう。しかし自分は思わず滑稽な感じに打たれて笑い出さざるを得なかった。我々にとっての洪水は、奔騰する濁流が堤防を突き破って耕作地に襲い入り荒れ回ることである。そのすさまじい感じはここには全然見られぬ。(ポー河の)何十年来まれな長雨の際の洪水がこれである。平年の穏やかさは推して知ることができるであろう。(同上 p.110‐111)



和辻のこの著作は、もう「古典」と呼ぶべきもので、様々な方面から批判があるものだとは思いますが、僕はこの箇所にはなるほどな、やっぱりそう思ったかと共感いたしました。

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地上最悪の「悪臭」の町 旅日記:2010年12月29~30日 アヴィニョン1

結局記事が長すぎるらしく、3分割することにしました。見にくくて申し訳ありません。

アヴィニョン。天気のせい、もっと見回れるところがあるのに時間の足りなかったせいもあって、いまいち物足りない写真ばかり残りました…。出来るだけ脱線してみます。

まず、アヴィニョンには、夏来るべし!そのことを端的に示している写真が↓。
rhone.png
これは、ローヌ川の渡し舟(無料だったはず)の運行時刻表なのですが、冬と夏の間のやる気の落差を見てください。
kannban.png
・1月1日~2月15日 完全に休み。
・2月16日~3月31日 水曜日と土日祝日に運行。
・4月1日~6月31日 5月1日除く 毎日運行。
・7月1日~8月31日 毎日(しかも夜9時くらいまでやってるし、休憩時間なし)。
・9月1日~9月31日 毎日
・10月1日~12月31日 クリスマス除く 水曜日と土日、祝日。

他にも、夏になると演劇祭が催されたりします。アヴィニョンには夏来るべし。しかしながら、冬に来てもこの街は多くの観光客で賑わっていました。夏になると旅行客で溢れかえることになるのは予測がつきます…。この街は、観光の街としての自覚は高く、駅から歩いて数分のところにある観光局にいくと、日本語の街の見所を紹介したパンフレットが用意してあったりします。

この街の観光客を招く積極的な姿勢は、こんなところにも伺えます。これは渡し舟の運行時刻表の下に偶然写っていたものなのですが、この街の実情をよく言い表していると思います。拡大しますと…
crotte des chien
鋭い方はすぐにお気づきでしょう。「私はアヴィニョンが好き。私の犬も好き。だから、拾います。」何を拾うのか?食事中の方はごめんなさい。これは、犬の排泄物について書いてあるんですよね。フランスに来たことがある人は、愛犬家がお犬様のアレを道端に放置していることには、閉口させられたことでしょう。うっかり歩いていると、グチャっと踏んづけることになります。もし踏んづけても、悲観することなかれ!フランスには「犬のアレを踏んだものには幸運が訪れる」という迷信があります。踏んづけても、大手を振って歩きましょう。

この看板を見ているとビックリしたのですが、これ…どうやら、犬のアレを拾うために、アヴィニョン市がどうやら、そのための袋を配っているようなのですね。ディジョンに帰ってきてからこの看板に気づいたので、注意してアヴィニョンを歩いていなかったのですが、どうやら街のいたるところに袋の配布ボックスが設置してあるのだと思います。しかし、効果はいかがなものか…、ローヌ川の周辺を散策中に何度もアレを見たぞ…。

さらに看板に突っ込み入れておくと…、看板下部の、袋の使い方が図示されていますよね。犬のアレを拾うのはいい、大いにやってくれ。しかし、図示の最後…
poubelle.png
これ、ゴミ箱なら何処でもいいのかよ!と思いませんか?持ってかえって、家庭で処理するとか、ちゃんと書かないのかよ!と突っ込みたくなったのは僕だけでしょうか?もっとも、フランスでは犬と一緒に旅行するのも簡単な国なので、フランス人の国内旅行者には、「家庭で処理する」というのも無理な話。どこかで捨てないといけない。どなたか、アヴィニョンの公共スペースに置いてあるゴミ箱を漁ってみてくれる勇者はいませんかね…たぶん「犬の糞」が見つかるのではないかと思いますが…。

これがうまく行っているのかどうかはさておき、行政レベルの観光街としての自覚は高いことが伺えます。

いやね、何でこんなに「アレ」の話で引っ張るかというと、これは想像に過ぎないのですが、「アレ」の話は、アヴィニョン市全体の歴史的なトラウマだと思うんですよね。というのも、後述する教皇庁や、聖ベネゼ橋(アヴィニョン橋)の説明を聞いてみると、この有名な観光地は、中世から早くも、ヨーロッパ世界の有数の街のひとつとして繁栄していたからなんです。繁栄していた、ということは、勿論、人が多くいたということに他なりません。人が集まれば、当然「アレ」の処理の問題が起きてきますよね。ところで、ご存知の方も多いのではないかと思いますが、ハイヒールの起源は17世紀初頭のフランスだと言われています。なぜ、あの靴は、あんな不自然な形になったのか?それは、道端に転がる「アレ」を踏んづける面積が最も少ないように!という悲壮な決意が込められてるそうです。踏んづけることが前提で作られた靴というほど悲しいものはない…と思うのは僕だけでしょうか。昔は、犬ではなく人間様の「アレ」も屋外に捨てられていたんです。さて、ここまで、汚い想像を掻き立てておけば、次の引用がアヴィニョン市のトラウマになっているのではないか、ということが頷けるかもしれません。アヴィニョンを訪れたペトラルカは街の印象をこのように綴っています。

「数ある町のなかでも最もおぞましい町、恐ろしく風が強く、建物が不恰好に並び、居心地が悪く、生者の地獄」、「地上にある町のなかでも最も悪臭のひどい町」(「観光ガイドブック――教皇宮殿」より;7€、日本語版あり、教皇庁内のお土産屋さんで買えます)

地上最悪の「悪臭」の町。悪臭の原因は、人間様の営みであることは容易に想像がつきます。実際に、中世に幾度と猛威を振るったペストが蔓延する一因として、不衛生・人口過密などが挙げられるのはご存知でしょう。アヴィニョンも、この伝染病の犠牲になった街です。
勿論、これは過去の話。アヴィニョン市民の名誉のために言っておきますが、アヴィニョンは綺麗な街でしたよ。

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神聖な落書き

記事とは関係ないけど、ブログに色々変化が出たり、小細工をしました。
アクセス・カウンター:細々とやっているブログですが、それでもアクセス・カウンターが増えると嬉しいもんです。が、しかし、なぜか分んないんだけど、先日カウンターが600くらいゴッソリ消えてて萎えました。まだ1000ちょいのアクセスしかない、無名のブログなので、比率として600はなぁ…大きすぎるわ。ま、それでもめげずに続けていきます。
ブログ・ランキング:ブログ更新の実情にあわせ哲学の項目を外し、代わりにフランス情報に参戦。読書は哲学関係のが多かったりするのだけどね。
アフィリエイト:半年間自分でも驚くくらいマメに更新が続いたし、流行?のアフィリエイトってやつに一応参加してみました。更新してちょちょいっと広告のっけとくとお小遣いが手に入るってあれ。うーむ…、登録してみたはいいが、何かややこしそうだぞ…。オチはフランス番長と同じく「向いてない」になる予感がしているが…。ともあれ、フランス語の学習に役立ちそう、と思った本はアマゾンさんの広告もチョイチョイって載せてみようかなぁなんて思ってたりもしますけどね。
メール・フォーム:作ってみました。まぁ大抵はコメント欄で足りると思いますが、疑問・質問・このブログの改善点等のご指摘がありましたら、こっちでもどうぞ。

さて、本題。

アヴィニョン観光中に気づいた落書き。

フランスでこんな落書きを見たことありませんか?
Inri 2
これには、ちゃんと由来があるらしい、ということに気づいたのは、アヴィニョンに来てからでした。
この人…そうキリスト。
jesus.png
彼の頭上のプレートを見てみると、こんな風に書いてあります。Inri.png
いや、僕も最初はこれがタダの落書きだと思ってた。でも、この像を見たときに、あっ…これ何かの略語だと気づかされました。ちょっと最初が切れてしまってるのですが。

I.N.R.I ラテン語で、Iesus Nazareus Rex Iudaeorum 「ユダヤ人たちの王ナザレのイエス」という意味で、キリストの十字架につけられた罪状だそうです。十字架にこの落書きがしてあるのを何度か見たことがあって、引っかかってたんですよね…。

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