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旧ディジョン日記(移転しました)

以前フランスの地方都市ディジョンでフランス語を学んでいました。

日本語の柔軟性を再認する

語学学校の授業にて、先生が黒板にこう書いたとき、ことは起こりました。

Adolf Hitler

世界の悪名の五指には入ろうかという名前です。言うまでもなく、アドルフ・ヒトラー。誰もが知らぬはずのない名前だと思っていたら、恐らく高校を出てからフランスに来たと思われる中国人(正確には、マカオ出身のため、ポルトガルとの二重国籍)が、「知らない」と言ったので、驚かされました。厳密に言うと、ヒトラーその人を「知らない」という訳ではなく、「知っているが、アルファベットでどの様に綴るのか知らなかっただけ」ということでした。そこで、気になって授業後に、「ヒトラーは、中国語でなんと呼ばれるの?」と聞いたところ、想像を絶する答えが返ってきました。全然違ったわけです(書けません)。

そこで、他に2人の台湾人も交えて、ニコラ・サルコジ、フランソワ・ミッテラン、シャルル・ド・ゴールなどの歴代の大統領を聞いてみたところ、サルコジ、ミッテランは、ほぼ「ニコラ・サルコジ」「フランソワ・ミッテラン」と呼ばれていたのに対して、ド・ゴールは、聞こえたとおりに書けないのですが、「大ゴール」(偉大なゴール)という説明でした。勿論、日本語で言う場合の当て字を使って表記しているのは言うまでもありません。

逆に、日本語はどうか、と尋ねられ、「日本人に聞こえる音を、ほぼそのまま表記する」と言って、またもや「日本語には、3つの文字体系があってね…」と平仮名とカタカナの説明になったのは言うまでもありません。さらには、食事中だったので、目の前にあったバナナを指して、バナナは「バナナ」というし、フランスは「フランス」、インターネットは「インターネット」で英語からの流入だよ、と説明すると、驚きを交えて「便利だなぁ」という表情をされました。その3語とも、中国語の発音では僕には書くことの出来ないものでした。日本語を知らないある台湾人に、「それだったら、外国語が日本語にほぼそのままなっているわけだから、外国語の勉強に、中国語圏の人より有利なんじゃない?」という趣旨のことを言われました。うん…確かにそうかもしれない、がしかし、その分、わけの分らない日本語が氾濫しやすい、ということは説明しませんでした。というのも、次のような日本語のフランス語訳が思い浮かばないし、浮かんでも通じるかどうか分らないからでした。もう定着したと思いますが、ひと昔前なら、インフォームド・コンセント(訳語つくられましたっけ?)、他にも、環境アセスメントなどなど、初見には「なんじゃこりゃ」という語彙が平気の平左で通用してしまうのが日本なんだよなぁ。

日本語における、「外国語」の氾濫は、正直未だに西洋コンプレックスが垣間見れるような気がしてならない一方で(※注)、高校生程度の学力がある学生が、Hitler を見て「ヒトラー」と認識できない中国語も外国語の翻訳に関しては、なかなか苦労が絶えないのだろうなぁ、と思わずにはおれません。ただし、ミッテランとサルコジの例が示すとおり、中国自体の、あるいは世界規模での国際化が進む中で、中国語自体も変わっているのかもしれません。

※注)例えば、「セレブ」、「マダム」とか、とっくに「外国語」ではなく、定着してしまって「外来語」になっていると思いますが、「著名人(あるいは金持ちか?)」、「婦人」と言うのを避けて、あえてこの語に肯定的な意味を込めて使うのは何で?そっちのほうがお洒落だから?と首をひねらずにはおれません。まぁ、だから日本語は面白い、と言うことが出来るのかもしれませんが…。とはいえ、自己弁護をしておきますと、一方で、本文中で不意に書いてしまった「コンプレックス」という語に関して言えば、「劣等感」と訳すこともできるでしょうが、それだと意味が広すぎて、「抑圧されて意識化に存在する」という意味は消えてしまう。まぁ確かに、訳すのが難しい単語は、そのままカタカナ表記で使ってしまうのが楽…ですよね。コンプレックスは中国語でどう書くのだろう…気になるな。

改めて日本語とは、良きにせよ悪しきにせよ、柔軟なのだなと再認したわけです。


※追記 

その後、グーグル翻訳を使って、ヒトラー、ド・ゴール、ミッテラン、サルコジ、コンプレックスの中国語表記を調べてみたところ、以下のような結果が出ました。括弧内は伝統的字体。

ヒトラー:阿道夫 希特勒
ド・ゴール:戴高乐(戴高樂)
ミッテラン:弗朗索瓦 密特朗
サルコジ:尼古拉 萨科齐(薩科齊)
コンプレックス:复杂(複雜)

「ニコラ」を「尼古拉」、「アドルフ」を「阿道夫」とする辺りには、なるほどと思いましたが、しかし、ヒトラーとサルコジの場合、ニコラまで打つと、これらが表記されているのですが、サルコジと入れると、ニコラ(尼古拉)が消えてしまいました。苗字でしか呼ばないのかな。同様に、ヒトラーは、「阿道夫」が消えて、「希特勒」になってしまいます。ついでにコンプレックスの訳語は、多分これでは、精神分析から由来した意味合いは含まれないでしょうね。ヒトラーは「希特勒」、おそるべし中国語。

実は、しばらく前から、日本帰ったら暇を見つけては中国語もやってみようかな…と考えています。僕の目標の関係上、西洋語をまず重点的に、というのは避けられないのですが(このブログでは全く話題にしませんが、英語の他、ドイツ語、イタリア語を少し齧っています;もっとも力点を置く言語がフランス語だからです)、韓国人・中国人・台湾人が日本語をちょっと、あるいは結構知っていたりするのには驚き、アジアにおける日本語の位置を思い知らされる日々です。聞くところによると、韓国の高校では英語に加えて、第三外国語として日本語も履修できるとのこと。一方、日本はといえば、英語のみに汲々とするばかりで、アジアの言語は大学に入ってからの後回し、という教育制度になってますよね。これはいかがなものか、と、アジアの言語を省みてこなかった自分への自己批判をも含めて、このように近頃考えるようになっています。

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台湾人のアイデンティティ

 昨日更新しようと思った内容ですが、寮の回線に障害が発生したらしく、昨日は接続すら出来ませんでした。こういうことは、こっち来てからは初めてです。夜に回線が混み合う以外は、普通に問題なく接続できます。

 昨日あったこと。スロヴァキア人と台湾人と自分とで昼食を食べてた時のことです。話題は、NATOの話、日本の「軍隊」、もちろん自衛隊ですが、の話、などなど。台湾人は自衛隊について知っていたので、よかったのですが、スロヴァキア人に説明しようすると、それをぴったり一語で説明するような言葉ががないので、ちょっと苦労しました。憲法9条のこと、紛争の解決手段としての武力は放棄すると憲法に明記されていることなどを説明しましたが、分かってもらえただろうか…。PKOのこと、イラク戦争で米軍の後方支援とか、問題がないわけじゃないということを説明できると良かったのだけれども、まだそこまでには至りません…。

 その中で中心的な話題が中国についてで、台湾人と中国に関するイメージについて話していました。

 共産党一党独裁体制、メディアの検閲、天安門事件、等々…。中国の政体に関するキナ臭いイメージは、僕と同じく共有していたようです。また、この会話を通して気づかされたのですが、台湾人は、フランス語で出身を紹介するときに決まって「台湾」と答えているということ。台湾人一般が、台湾人としてのアイデンティティを強固なものとして持っているかどうか分かりませんが、少なくとも彼は、それを持っているようです。人民共和国との利害関係で、公式には「一国家」として承認されていなかったと思いますが、アイデンティティとして、「中国とは違う、台湾は台湾だ」ということ、中国をちょっと外部からの視点を見ているのだな…ということが伺えて興味深かったです。

 しかし、さらに興味深いのは、台湾人は、立派に共通語としての「中国語」を喋ることが出来るということ。どうやら義務教育のようです。「なぜ?」と聞いてみたら、案外あっさりとした答えが返ってきました。「同じ文化を持っているからだ」とのこと。うーむ…。もう少し、彼の深層を覗いてみたい気にもなりましたが、それはまた今度の機会に。にしても、複雑な問題ですな。
 

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アラブ人観察日記

 一週間か二週間前には、うだるような暑さだと報告しましたが、今週の半ばから、雨が降り、一気に気温が下がりました。昼でも20度の前半、夜は10度の前半と急に涼しくなりました。もし、夏にフランスに来る人があれば、こんな具合なので、長袖は必須です。 

 自分は、最近ドイツ語の復習を再開しました。フランス語に取り組む気になれない時には、ドイツ語の文法書をおさらいしてます。とはいえ、やはり同時にフランス語の基本的な表現で抜けている表現がないかどうかチェックするために、独仏辞書を座右に置きながら、見直してます。せっかくドイツ人がいる機会なので、これを利用するためにも見直し、というわけです。

 今週から、はじめたばっかりですが、すでに発見もあったりします。例えば、フランス語には、英語で言えば、stand、ドイツ語で言えば、stehen、にぴったりと一語で当てはまる簡単な表現がないということに気づいたり。「立つ」という動作が問題になるなら、se lever を使うし、「立っている」という状態が問題になるなら、se tenir debout という具合に、動詞+副詞という表現になる、ということに気づいたり。

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 さて、タイトルにあるお話。

 語学のクラスには、アラブ人が一人います。サウジ・アラビア出身。彼を見ていると、色んなことに思いがいたります。以下は彼を見ていて思ったこと。

 *以下は自分が見た限りでのアラブ人で、一般論であるとは限りません。

 彼は、多分サウジの裕福な家庭の出身なのでしょう。マックのノートパソコン、iPad、iPhoneと最新鋭の情報端末を完備してます。授業中に、「これが僕の辞書だ」と言って、マックのパソコンを出し、グーグルの翻訳サイトに接続して、単語を調べだしたときには、笑ってしまいました。

 アラブに限らず、アメリカ人にも多いと思うのですが、「辞書」というものを持っていないということには、驚かされました。もちろんちゃんと持っている人もいます。持ってない人は分からない単語があったらどうしているかと言えば、授業中に、よくiPhoneを取り出して調べてます。最初はこの行動が理解できなかった。なんで授業中に携帯?と思わずには居られませんでした。

 余談ですが、電子辞書というものは、アジア・あるいは漢字を持つ文化に特有のものなようです。日本・韓国・台湾などなど…中国本土の人の電子辞書はまだ見たことないかな。見慣れない人にとっては、電子辞書はパソコンに見えるみたい。フランス語に対する個人の取り組み方にもよるとは思いますが、日本・韓国・台湾人はよく辞書を引く印象です。やっぱり、音声・表音文字だけでは表現しきれない書き言葉・表意文字の文化を持っているからかな…、自分も音でつづり字が分かっても、辞書で確認するまでは、落ち着きません。

 コーランの文化に属するものなのか、彼の個人的な特性によるものなのかは、もう少しアラブ人全体を見てみないと分からないのですが、口語・話し言葉に対する記憶力は驚嘆してしまいます。翻って自分はと言えば、やはり書き言葉が強い文化なのか、つづり字を見ないとなかなか言葉を覚えられません。逆に彼は、書き言葉には弱いようで、発音は知っていてもつづり字を知らなかったり、書くことには苦労していたりするようです。語学学習にも、文化の違いがはっきりと出るものなのでしょうね…。

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 また、彼の観察とは別の話で、自分で確認したわけではないのですが、寮にいるアラブ人たちは寮の内部にいても、小さな共同体を形成するようです。というのも、何か判断に迷ったら、一団の長の判断を仰ぐという話を聞いたからです。制度の名前は忘れてしまいましたが、何か問題があったときに、村の長老の判断・助言を仰ぐという制度がそのまま寮の中でも生きているようです。

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