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旧ディジョン日記(移転しました)

以前フランスの地方都市ディジョンでフランス語を学んでいました。

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ペタンク場にて俗語を習う…

ちょい都合により、テンプレートを変えました。
変えた理由は白地にしたかったから。

タイトルどおりの内容を書くのですが、
俗語表現で、日本語に直してもヒドイ表現なので、

訳文は、白地の背景に白文字で書きます。

したがって、普通には見えなくなるはずです。

指定の行を、コピーしようとしてみてください。
文字色が反転するので、見えるようになるはずです。


知りたいと思う人はそうしてください。

今後、俗語の紹介もしてみようかと思うので、今日はそのテストを兼ねて更新です。
同様の手法を使うことになるかと思います…。



今日、これを「言ってごらん」って言って、習わされた…

avoir les couilles molles

直訳→きんたまフニャフニャだな←ここに書いてます。
腰抜けとか腑抜けというニュアンスで使われるようです。

ペタンクやっている間、意味も分からず、散々言わされて
あとになって、意味を教えられて、ブッと吹き出してしまった。
周囲の人たち笑ってたから、オカシイとは思ったんだよな…。

追記。

少し真面目な解説加えると、

molles は「柔らかい」という意味の形容詞ですが、

mou (男性型) mol (男性2形)
molle (女性形) mous & molles (男&女複数)となり、
fou と同様の変化をするので要注意。

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ディジョンにっき改めペタンクにっき始まる…

なんか、久しぶりに「考え事」じゃない記事を書く気がするが…


CIEF(僕の通う語学学校)は、学期と学期の間に、10日ほどの休みがあって、その期間に旅に行く人も多いです。


旅行の他は、今が丁度ワイン用のブドウの収穫期なので、そのアルバイトに行く人もいます。

収穫は猫の手も借りたいほど…なのか外国人でもちゃんと働けます。

特に、真面目だと定評のあるアジア人は歓迎されるようです。


自分もその休暇の過ごし方を特別なことをしようかなと、考えないでもなかったが…、

ペタンクをして過ごす事に決ました。

この休みの間中、ペタンク三昧というわけです。

ペタンクとは、前述のスポーツ(?)

(フランス人の中にも「スポーツではない」と言う人もいるので…。ゲートボールがスポーツならこれもスポーツ)。


これに至るったのは、色々な事柄を勘案した結果です。

やはり、語学学校というところは、

語学に集中して学べるし、フランス語が分からない人が、当然来るところなので、そのケアはしっかりしている一方で、

なかなかフランス人の知り合いを見つけるとなると、個人で色々と動き回らないと増えないというデメリットもある。


語学学校を早めに切り上げて、現地の大学に入学するというほうが、

勿論苦労は絶えないだろうけども、

嫌でもフランス人と付き合わないといけない環境に身を置くことになるから、

聞く・話す面での、語学上達は早いのかもしれない。


語学学校の罠って、

フランス人とあまり付き合わなくても、生活できちゃうことなんだよな…。


旅行するにしても、

ありがとう、お願いします、これ幾らですか…?というので大体こと足りてしまうのが罠だし、

そこでのフランス人との付き合いは一過性のものだしなぁ…ということで少し躊躇しました。


要するに、継続的な付き合いを築くには、どうすればいいか?

これは語学学校にとどまる限り、厄介な問題だぞ…、

うーむ、これはいけないな…と思い、行動を起こさねば…、というわけで、

ペタンク。


これをフランス人と会話する機会に利用しようとするには、

立地等の条件が大きく左右されますが、つまり、前に書いたとおり、寮の近くにペタンク場があり、

晴れた日には、いつもオッチャンたちで賑わっている…、ここに入って行けば、フランス人ばかり…、

という環境に自ら身を置こう…と思い立ち、これから毎日、ペタンク場に通ってみようかと思ってます。


したがって…これからはペタンクブログになる予感…。


上手くなっていけば、自分ももっと楽しくなるだろうし、

フランス人の輪の中に入っていくのも抵抗なくなるだろうしね。



フランス滞在3ヶ月過ぎたころから、つまり9月頭からもっとペタンクを利用しようと計画はしていたけど、

休みになるまで色々と細々とやることがあり、なかなか実行に移せずにいました。

ようやく今日、実行できてよかった…。


もはや日に日に寒くなるばかりなので、この機会を逃したら、どうなることか分からないな…という思いもあって、

行動に移しました。


というわけで、初日の今日は、

ペタンクの球を買いに、チャリンコこいでスポーツ・ショップへ行き、

ペタンクセット一式を買い揃えて、ペタンク場へ…。

それまでに寮の連中皆でやるための、レジャー用のを買っておいたけど、

やはり、手に馴染むマイボールでやったほうがいいし、

3球そろいじゃないと、何となくフランス人の輪に入るのが抵抗あるなと思って、

要するに、フランス人と同じ様にするべきだな…と思って、買い直しました。


レジャー用…8球で35€ 2球1組×4

今のマイボール…3球で58€ 3球で1セット

レジャー用は、いずれ誰かに売るか、しょうがない。

確かに、傷の付き方が全然違うし、サイズ、重さもしっかり計られて作ってあるようです。



球を買い換えたことを、既に知り合いになっていたオッチャンに言って、ボールを見せたら

「あ、こいつやる気だな…」と思ってもらえたのかもしれない。

しばらく一人で練習して様子を見ていたら、早速、「次のゲームから一緒にやろう」というようになった。

狙い通りだ…シメシメ。


今日は、若い人もいました。

こんな光景、日本じゃあまりないな…と思ったのは、

――見た目で人を判断するのは、勿論よくないことだが――

ピアスを数箇所していて(鼻ピもあったと思う)、髪型はソフトモヒカンっていうニーチャンが、

オッサン達に堂々と混ざって、ペタンクを楽しんでいる光景でした。

このような世代を超えて交流できるスポーツって、日本じゃ見たことないし、

ペタンク場にいるだけで、言葉もあまり通じない異国人を混ぜてくれるなんて、あり得なかったなぁ…。


「明日も来るかい?」と別れ際には尋ねられ、「多分来るよ」と答えておきました。

フランス人にとってこの手の言葉がどの程度の重みがあるのか、全然わかんないから、

「多分」としか言いようがない…戸惑っちゃうなぁ。



すると…

「明日はアジア系の美人を4人連れてきなさい」

「2人は俺が食べる(manger)、残り2人は、彼が…ry」

なんて言われてしまいました。勿論、冗談でしたけどね。

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遡行的に問うことと散種

これまた哲学に関する考え事。ほぼメモに近い備忘録。

『知覚の現象学』を読んでいたときの違和感を整理し、そこからやるべきことを予感。

遡行的に問うことに、メルロ=ポンティは成功しているのかどうか、という違和感。諸感覚の統合された様態から、特殊事例(脳の損傷など)を持ち出して、統合が弛緩した状態を言うことは、正しく遡行的に問うことに成功しているのかどうか、ということが常に疑問だったと表現できる。

そこで、伝統の形成は常に散逸可能性に晒されているというデリダの「散種」が、遡行的に問うことそのこと自体を撹乱させそうだ。うーむ。初期ハイデガーが「伝統とは起源の忘却」といい(中期~後期は知らん…)、デリダは起源にさらに痕跡を認めようとする。メルロ=ポンティも、偶然的なものの「制度化」について語っているので、「正統」な起源を求めているとは言えないのかもしれないが…。

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雑記

雑記。

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天気。

秋です。栗が落ちる季節のようです。
晴れた日の昼間はシャツ一枚でも過ごせますが、それ以外はコートが必要なくらいの天候になりました。
雨が降れば、もちろん一日中寒いままです。

この天候に参る日本人は多いみたいで、風邪…かな?という人が多いようです。

自分はまだ風邪ひいていません。

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読書の秋ということで、先日の実存主義の件に補足。

サルトル…言い過ぎだろ…と『実存主義とヒューマニズム』を読みながら思った。

この本は、1945年に行われた討論会の記録。

「実存主義」の教条に色々と巻き込みすぎだろ…。
名指しでハイデガーを、自分の教条に含めちゃってるのね…。

--------

フランス語関係。

面白い文見つけたので、引用しときます。

『ゴドーを待ちながら』のト書きから。

Entrent Pozzo et Lucky.
Celui-là dirige celui-ci au moyen d'une corde passé autour du cou,
de sorte qu'on ne voit d'abord que Lucky suivi de la corde,
assez longue pour qu'il puisse arriver au milieu du plateau
avant que Pozzo débouche de la colisse.

↑もし自分がフランス語の教師だったら、
動詞部分を活用させた上で、訳せって問題作るかなぁ…。
色んなことが詰まってる一文。

もう一個。こっちは訳文つけときます

『Histoires inédites du Petit Nicolas』、これは児童書です。

児童書と侮ることなかれ…初級文法がパッチリ終わっていないと、細かいニュアンスまでしっかりと読み込めない本。
時制・法は全部出てくる。逆に言えば、初級文法の復習にパッチリ。

落語の(うまい)前座話のような軽妙さがあって、楽しみながら読め、
なおかつ、戯曲を読むほど量は多くないが、口語表現も同時に学べるので、一押しの本です。

Nicolas は、クラスメイトである Geoffroy をたずねることになった。Geoffroy は大金持ちの家の子。
彼の家に、Nicolas を車で送った、Nicolas のパパの台詞から。

-- Je reviendrai te rechercher à six heures, ne mange pas trop de caviar !
 「6時に迎えにまた来るからな、キャビアを食べ過ぎるなよ!」
Avant que j'aie pu lui demander ce que c'était le cavier, il est parti en vitesse avec son auto.
 キャビアが何か、僕がたずね終わらないうちに、パパは車で大急ぎで行ってしまった。

うーむ。接続法がバッチリ使われてる。
日本語で「何々する前に」とか「何々しないうちに」相当する表現は、
接続法を使って、avant que で言い表すといい、ということに最近ようやく気づいた。

動作の未完了も言い表せるのだな…。

接続法、逃げられませんな…。

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いわゆる「実存主義」について。

 ガチで哲学のお話。

 通っている語学学校には、「文化と文明講座」というプログラムがある。

 極めて概説的な講義だが、様々なジャンルについての講義が、もちろんフランス語で行われるので、フランス語の聞き取りの訓練になるし、知らないことも多いので、勉強になる。

 そこでのお話。

 「僕は、大学でメルロ=ポンティについて勉強していた。」というと、「へー!」という多少の驚きの反応を必ずと言って良いほど、頂戴する。フランス人にとっても、メルロ=ポンティは「難しい」という印象があるようだ。ディジョンのFNACにも、『知覚の現象学』と『目と精神』くらいしか置いていない。つまり、メルロ=ポンティは人気がない…ということらしい。日本語で説明するのさえ、時間を要するし、困難を覚えずにはいられないのに、フランス語では尚のこと説明するには及ばない…。

 そもそも、メルロ=ポンティが扱おうとしている事柄そのものが難しいのだ。言語化できるギリギリの経験の地平について語ろうとしている。前言語的経験とでも言おうか…。

 彼を勉強していると話すと、「メルロ=ポンティは実存主義か?」と問われることがしばしばある。これには、いつも当惑する。そもそも…、メルロ=ポンティは、「実存」という語をちゃんと定義して使っているかどうか、などと考え、「うーん」と悩む。というか、むしろ、「実存という言葉で、あなたは何を考えているの?」と問いたくなってはしまう。そもそも、「実存」という語は、サルトルの「実存は本質に先立つ」の標語以来、その文脈を離れ独り歩きしてしまっているような印象さえ受ける(いずれ、サルトル自身とも格闘することになるのだろう…)。今までに、「実存主義」の名の下に二人のフランス人による概説(そのうち一人は哲学が専門ということだ)を聞いて、尚のこと、メルロ=ポンティを「実存主義」のレッテルの下に一括りには出来ないな…という実感を強くする。

 その二人の説明とそこで自分が受けた印象を簡単に纏めると以下のようになる。「実存 Existence」と「本質 Essence」を対概念にして、人間存在を実存から理解する、というのは至極正しいと思うのだが、「本質」のカテゴリーの中に「存在 être」まで含めてしまうような説明を聞くと、「うーん?」と首を傾げてしまう。「存在は本質に分類されるカテゴリーの一部」というような印象を与えかねない説明がなされており、僕としては、それは、無条件には言えないだろうと思う。もちろん、ハイデガー以前の哲学史の説明としては、正しいとは思うし、それが実存主義が槍玉に挙げる「存在」の定義ならそれでよい。

 僕としては、メルロ=ポンティによる「実存」の定義は、ハイデガーのそれに近いと思う。ハイデガー自身の言を引けば、「現存在がそれへとこれこれしかじかの態度をとることができ、またつねになんらかの仕方で態度をとっている存在自身を、われわれは実存と名づける」(『存在と時間』第4節)。つまり、ハイデガーの定義によれば、「実存」そのものは、「存在」に対する何らかの態度を常にとっている、ということになる。その「態度」を、その構造的連関(「存在機構」)に注目しつつ分析することが、『存在と時間』のプログラムであり、そのことを彼は「実存論的分析」と名づける。

 よーするにだ、人間自身が、存在しているあり方のうちには、ある際立った一般化できそうな特徴があり、その特徴、つまり「構造」を分析してみると、「存在の理念」を暴くことが出来るだろうし、それがハイデガーの目指すところだ、と言っている。

 メルロ=ポンティの「実存論的分析」もこれに近いと思う。『知覚の現象学』では、身体のあり方に注目し、その実存の運動、身体は絶えず何らかの仕方で世界へと向かっており(「世界」を拒否するにしても、受け入れるにしても)、それは身体的実存をもってしてのみ可能になる。というのが、『知覚の現象学』の僕の1文での要約。いうなれば、「存在の理念」への鍵・秘密を、「身体」に注目して暴きましょうね、というのが、メルロ=ポンティ。

 一方、僕が、「文明講座」で聞いた、「実存」の説明は、いうなれば、ハイデガーの「被投性」の概念に近く、「世界の中に、いかなる理由なく、あること」が、「実存」だと言うような説明を聞いた。これだけでは、うーむ…ハイデガーも「実存主義」のレッテルを貼られて、「自分は実存主義」ではないと説明するのも頷ける。

 結局のところ、「存在はダメよ、実存よ」という説明図式では、あまりに舌足らずだ。「実存」の中に、全ての存在了解の鍵があるというのに、その説明抜きで、メルロ=ポンティを説明するのは厄介だということであり、したがって上記のような「実存主義」の説明図式の中に、彼を含めるのは間違いだと思う、ということだ。彼の「実存」もまた、ハイデガーと同様に、世界へと、存在へと、向かっていき、しかじかの態度をとるもので、そこに「存在の理念」があるというのだから。

 うーむ。うまく説明できんな…。要修行。そもそも、メルロ=ポンティが、実存についての明確な定義をしているのかどうか、再検討する必要があるし、サルトル含めた「実存主義」の言説を知らなければならないなぁ…、などという思いを強くする。「実存」の通俗的理解はどうあれ、サルトルの「実存」の定義そのものを知らないと話にならん…。

 上記のしかじかの理由で、公平を期すためにも、サルトルを読む動機にもなった。要は「実存主義って、なんかスローガンだけが独り歩きしてない?」ということを確認するためだ。「文明講座」は、サルトルのスローガンは、サルトル自身の思想そのものと、どれだけの距離があるのか、あるいは、距離はゼロなのか、それを知りたいという動機を与えてくれるには、十分だった。

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活用について覚書(前回の続き)

活用についての覚書。

前回の内容をさらに発展させたいと思っているのですが、これは暗黙知のようなもので、なかなか説明しにくく、前回以上にまとまらない内容になるかと思いますが…。

動詞活用について。

語幹が2つ以上あるパターンは、現在形を見ると、その動詞の活用のパターンの特徴がつかめると考えています。
古いフランス語まで、さかのぼったわけじゃないので、あくまで仮説ですが…。



現在形の語幹の交代は、3つのパターンに分類できると思います。

パターン①:規則動詞、と一部の不規則動詞(courir など)
je A / nous A
tu A / vous A
il A / ils A

→語幹1個のタイプ


パターン②
je A / nous B
tu A / vous B
il A / ils A

パターン③
je A / nous B
tu A / vous B
il A / ils B


例えば…

tenir は②だと考えられます。

je tiens / nous tenons
tu tiens / vous tenez
il tient / ils tiennent

prendre も②かな。

je prends / nous prenons
tu prends / vous prenez
il prend / ils prennent

というのも、「ティャン/ティェン(ヌ)」と「テゥ」(1&2人称複数)、「プラン/プレン(ヌ)」と「プル」(1&2人称複数)
という2つの語幹があると考えられ、

さらには、前者が語幹のほうに音の重点が置かれ、後者は活用語尾のほうが強いと考えられます。



résoudre は③

je résous / nous résolvons
tu résous / vous résolvez
il résout / ils résolvent


bouillir も③

je bous / nous bouillons
tu bous / vous bouillez
il bout / ils bouillent

--------

こうやって見てると、

現在形の1~3人称の単数形は、
語幹の後ろのほうを切り落とした形じゃないか…と思えてきます。

例えば、devoir

je dois / nous devons
tu dois / vous devez
il doit / ils doivent

見ての通り、doiv- dev- という2つの語幹があり、
前者(語幹の音が強い)で、接続法・半過去(1~3人称単数&3人称複数)をつくり、
後者(語幹の音が弱い)で、条件法・未来形をつくる。

現在形の1~3人称単数では、doiv- の語幹を用い、Vの音を切り落としているのではないか…と。


先に挙げた bouillir では…

J(ュ)の音を切り落としているので、

je bous / tu bous / il bout となります。



tenir に関して言えば…

弱形の ten- と、強形の tiendr- という2つの語幹を持ち、(tienn- も含めるなら3つの語幹)

現在形の1~3人称単数では、強形の tiendr- のうちの、dr- という音を切り落としているのではないかとも考えられます。




前回の記事も含めて、このようにして考えていくと、

語幹を3つ以上持つ不規則動詞(単純過去の語幹は除く)は、

avoir être pouvoir vouloir などなど、本当に限られたものになってきます。



うーむ…

しかし、都合2回に分けて紹介してきた考え方は、決定打でないのもまた確かで、

例えば…

cueillir 

assailir

という2つの動詞は同様に活用するのだと思っていたら…

未来形では、一方が

je cueillerai / nous cueillerons

になるのに対して、他方が

j' assaillirai / nous assaillirons

となる始末…

cueillir は cueille が語幹だという説明が成り立ちますが、もう一方では成り立ちません。

まぁだから「不規則」なんですが…。


16世紀以前の、古いフランス語まで遡っていけば、何か詳しいことが分かるのかも知れません。やるのか…そこまで…。

他の人は、どのように「不規則活用」を整理しているのか、

根性で丸暗記するだけなのかどうか、

完全に言語化できないにしても、なんとなく組織立ているのかどうか、少し聞いてみたいものです。


まぁ、あくまでも、これは僕個人の場合、ということで。ではでは。

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フランス語:動詞の活用のコツ

 フランスはすっかり秋です。雨が降ると肌寒く感じるほど。

 8月の授業以来、幾人の人にとって、自分は「動詞の活用キ○ガイ」とか、「活用マシーン」として認知されるようになりました。

 フランス語学習の大きな障壁として、動詞の活用という厄介なものがあります。

 動詞の活用とは、英語でいうなら、do does didといったものです。

 フランス語の場合、英語と比較すれば、遥かに動詞の活用が複雑です。直説法現在の1人称・2人称・3人称の単数&複数の活用はもちろんのこと、その他に、

 ・直説法半過去
 ・直説法未来
 ・条件法
 ・接続法 

 と、最低でもこれだけの語形変化を覚えなくてはなりません。さらに加えて、それらの複合時制と、昨今では、廃れつつある単純過去、接続法半過去の語形を加えれば、丸暗記しようとすると大変なことになります…。

 基礎的な単語に関しては、ほぼ活用を覚えてしまった自分にとっては、後は、抜けているものや、忘れかけているものを覚えなおす作業を残すのみで、厄介でも何でもないんですが、一から覚えるとなると、やはり大変みたいです…。この困難は国籍を問いません。

 8月の授業では、フランス人にとっても厄介な単純過去の活用を答えてしまってから、「活用バカ」と渾名が着いてしまいました。

 ただ、やはり自分も苦労しました、コツをつかむまでは。コツをつかんでから、結構楽に覚えれるな、と思ったので、そのことを紹介してみることにします。

 したがって、以降はある程度知ってる人向けの記事。

--------  

いきなりですが、以下の動詞の不定詞・法・時制を答えてみてください。

je courais

正解は、後述。

なぜこの動詞を選んだかというと、この動詞の活用表を見ているときに、

「あ…フランス語の動詞の不規則活用はある意味、規則的だな…」と思うようになったから。

さて、この動詞の不定詞は、courir 「走る」という動詞です。

直説法現在の活用は、

je cours / nous courons
tu cours / vous courez
il court / ils courent

となります。


直説法半過去。

je courais / nous courions

したがって、上記の問題は、courir の直説法半過去です。


ついでに接続法現在。

je coure / nous courions


さて、ここで2問目。次の2つの法と時制を答えてみてください。

je courais / je courrais

一見すると何が違うのか…って感じですが、

前者は半過去、後者は条件法現在です。よく見ると、後者は -rr- と綴られているのが分かります。

そこで…


単純未来。

je courrai / nous courrons


条件法現在。

je courrais / nous courrions

---------

この活用に出会った時に、ある仮説のもとに、大学時代に習ってきたことを疑ってみました。

大部分の動詞においては、条件法と未来形は、不定形から作る。

もちろん、「大部分の動詞においては」、という表現は、例外何でもありじゃん、というものなので、
あんまり深くつっこんでもしょうがないんですけど…

自分としては…、「動詞の不定形に活用語尾をつける」という説明よりも、むしろ、

「動詞の『語幹』に -rai -rais -rons -riez といった、Rの音を含めた語尾をつける」
さらに
「Rの音は、未来形と条件法のマークとして機能していて、必ずRの音は保たれる」


と考えるようになってから、不規則動詞のかなりの部分が覚えやすくなりました。

詳しく説明すると、

courir の動詞の活用の一群を眺めてみたときに、変わらない部分として、cour- が現れていることに気づきます。

cour- が語幹でそこにさらに未来形・条件法の時には、-rai -rais を加えている。

さらに突っ込んで、動詞ごとに、語幹に注目する、という作業を始めました。

ただし、ここで言う語幹とは、発音の変わらない部分のことを言います
したがって、つづり字の変わらない部分のことを言っているのではないのであしからず。

courir の説明は、他の動詞にも適用できて…

例えば、payer という動詞を観察してみます。

直説法現在。

je paie / nous payons
tu paies / vous payez
il paie / ils paient

未来形。

je paierai / nous paierons
tu paieras / vous paierez
il paiera / ils paieront

現在形で現れている、語幹の paie + r- で未来形が出来てます。

なお、現在形の1人称&2人称に関しては、

推測の域を出ないのですが、

-ons -ez という母音で始まる活用語尾と、

語幹の母音の衝突を避けるために、半母音を含むYを挟んでいるのではないか、と考えられます。

したがって…、半過去の活用語尾は、-ais -ais -ait -ions -iez -aient と全て母音で始まっているので、

payer の活用は、

je payais / nous payions
tu payais / vous payiez
il payais / ils payaient

となるのではないかと考えられます。

これで、appuyer, essayer, essuyer, nettoyer といった動詞の説明は出来ます(envoyer だけは本当の例外)。

appuie, essaie, essuie, nettoie が語幹だと考えれば。

直説法現在の、単数と、3人称複数は、発音上は、語幹むき出しです。

接続法も同じく、単数と3人称複数は、語幹むき出し。

s'asseoir なんてガチで活用しているのを見たことはないですし、多分、実際活用して見せても、フランス人からも気味悪がられるだけだと思いますが…

現在形で現れている、

je m'assieds

の assié という発音が語幹になって、未来形を作ります。

je m'assiérai

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ただ、語幹と一口に言っても、

動詞によっては複数の語幹を持つものが多いのが厄介。

例えば、

plaindre の現在。

je plains / nous plaignons
tu plains / vous plaignez
il plaint / ils plaignent

半過去は、je plaignais

未来形は、je plaindrai なので

この動詞は、plaign- と plaindr- という2つの語幹を持つのが分かります。


résoudre の現在

je résous / nous résolvons
tu résous / vous résolvez
il résout / ils résolvent

未来形は、je résoudrai なので(半過去は省略)

résolv- と résoudr- という2つの語幹です。


acquérir という動詞は、語学学校の先生いわく「これ活用してたら、かなり奇妙に聞こえる」というくらい、

フランス人でも活用がしない動詞らしいですが…(複合過去で使うのがもっぱららしいです)、

一応語幹を拾ってみるならば、

aquier-, aquer- という2つの語幹の音が、常に保たれているのが観察できます(各自で確認を)。

したがって、未来形と条件法では、j'aquerrai, j'aquerrais と -rr- が2つ重なっているのが確認できます。

---------

そして…、

規則動詞の語幹の発音に注目すると、

現在形・接続法の1人称&2人称の複数を除いて、

全て語幹だけ発音で済むことが分かります。


現在。

je donne / nous donnons
tu donnes / vous donnez
il donne / ils donnnent

接続法。

je donne / nous donnions
tu donnes / vous donniez
il donne / ils donnnent

規則動詞の未来形・条件法の発音に関していえば…

不定詞から作る、という意識・教育は止めたほうがいい、というように思うようになりました。

書き言葉としては、至極正しいと思うんですけどね…。

思うに日本は、エクリチュール中心主義ではないかと疑ってしまう。

語幹+ -rai, -rais で作る、と思ったほうが、迷わないな、と。

例えば…

améliorer の未来形の発音は、一人称単数現在と同形、つまり語幹を言い切ってから、未来形語尾を足してあげる、と考えたほうが、迷わずに済むと思うのですが…、

他にも…

entrer
rencontrer

などなど…「不定詞から作る」という意識があると、

「アントれれ?」「ランコントれれ?」と混乱してしまいそうになる動詞があります…(実際は「アントるレ」「ランコントるレ」)。

なかなか、思ってても、実践出来ていないのが現状でして…(汗)

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結論。語幹は大事だぞ…と言いたかっただけです。

基本的な活用が頭に入っていることが大前提になりますが…、

自分は実際、動詞の活用を覚えるときは、語幹に注目して、まず語幹をしっかりと押さえることから始めます。

語幹だけを覚えるのだったら、1つの動詞に対して、多くても3個くらい(単純過去を含めると最大4個)で、現在分詞・過去分詞を覚えるだけなので、たいした負担にはなりません。

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辞書の国

フランス人にとっても「フランス語は難しい」という自己認識があるということをよく思わされる。

9月は新学期シーズンということもあり、文房具・書籍といったものがよく売れているみたいだ。

そこで、本屋の辞書や文法書のコーナーを覗くと…

 ・動詞の活用の本
 ・文法書
 ・類義語辞典
 ・語と語の結びつきを纏めた辞書(コロケーション)などなど、

を見つける。

当然ながら、フランス語で書かれた、フランス人向けの本だ。

辞書の充実ぶりにも、もちろん目を見張るものがあったが、

やっぱり、フランス人向きにフランス語の文法書・動詞の活用の本を売っているというのは、驚きだった。

ここにフランス人の自己理解の帰結があるのだなぁ。


それにしても、辞書は安い。類義語辞典など、手ごろなサイズのもので、11€程度。

その分装丁は脆い。

世界相手に辞書を発行しているのだし、それだけ値段も下がるのだろう。



蛇足。

本屋を覗いていたら、辞書コーナーに、

男女の情事(要するにセックス)に関する語彙を集めた辞書をも見つけてしまった。

決してエロ本ではなく、大まじめに情事に関する語彙の解説をしていた。

買ってみるのも一興と思ったが、さすがに躊躇しているところだ。

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出会い

 ほぼ、つぶやきに近い日記。ツイッターやるかどうか、考え中。

 フランス来てから、一番の収穫は、人との繋がり…だろうなぁ。

 フランス人や外国人との…というよりは、むしろ今のところ実感しているのは、日本人との繋がりといったところ。フランスにいる日本人という唯一の共通項目が、人と人を出会わせる。年齢・経歴・職種・将来の展望といったもの、日本においては、出会いの機会の要因になりうるものが、ここにはない。フランス滞在の目的が異なるということは、当然、そこにおいて発見するものも違うので、異分野の人との会話は、刺激になる。

 昨日、夫婦でフランス留学している人のお宅に訪問した。その旦那さんは、やはりソムリエというだけあって(前述の夫妻)、食・ワインに関する知識が豊富だ。他に、同業志向の人、スイスで時計職人(!)を目指す同年代の男性、と仕事の研修でやってきた女性を交えて、異分野交流を図る(計6人)。不思議なもので、6人中5人が東京に縁のある人だった。こうした出会いは、持続させたいものだ。

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笑いについて

 ネタ切れで、フランス生活とは関係ない記事。なぜ今このタイミングで、こんなことを思い出したのか定かではないのだが、忘れないうちにメモ。

 劇作家ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以降、ケラと呼称)によれば、1980年以降、笑いの質が変化してきたという。彼によれば、時代の変化を、ダウンタウン、吉田戦車以降の出現以来と特徴づけられるということらしい。出典は忘れたので、正確な引用ではないが、笑いの即物化という趣旨の発言をしていたのだと思う。

 こんな発言を記憶の片隅に留めていたときに、別役実が脚本を担当した公演のパンフレットの中で、「笑いの構造化」(対になるのは、「表層化」だったと思う:これも記憶に基づく)ということを語っていたことで、自分としてはケラの発言と別役の発言は地続きのものである、という様に理解できた。

 構造化された笑いというのは、いわばストーリー性のある笑いで、ストーリーの展開、例えば場面に対して人物の言動のそぐわなさとか、から生じる笑いで、観る側にも、ストーリーの理解を要求する笑い。いわば、必然的な笑いとでも言えるだろうか。逆に言えば、即物化、あるいは表層化した笑いというのは、ストーリーそのものには依拠せずに生じる、いわば偶発的な笑い。

 構造と表層の境界を画定するのは困難だと思うが、自分には、納得の行くものだった。

 例えば表層化に関して言えば、昨今の(もう過ぎたのかどうかは、分からないが)「レッドカーペット」のようなテレビ番組の構成が、好例だと思う。そこにおいては、短い時間で、ストーリーを構成する以前の段階で、笑いが要求される。よしんば、「ストーリー」的なものを、展開するにしても、極めて短い時間で、かつ分かりやすい表象によって、示す他はないと思われる。お笑い芸人の際立ったキャラの「面白さ」や「一発ギャグ」が要求されるのは、当然の結果であるように思える。

 さらに、バラエティ番組のテロップ表示や構成そのものにも、こうした傾向への表れとみなせるかもしれない。テロップ表示は、強調の手段であるに加え、言外の知識、つまり、芸人同士の前提知識を了解しておかねばならないものを理解させるだろう。こうした手法は、収録の終了が番組の完成を意味せず、編集されてから初めて笑いが組織化されて完成、ということになるのかもしれない。

 構造化に関して言えば、シチュエーション・コメディが好例だろう。この類のものを追求している作家は、分かり易い例で言えば、三谷幸喜が挙げられると思う。笑いを誘うために、大掛かりな舞台とストーリー性を要求する。

 と、ここまで書いて、やはり、何処までが表層で、何処からが構造かを確定するのは難しいな…と思い、ここで留め置く。

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雑記:いろいろ気になったこと・気づいたこと

雑記。
 異国の地に来てみて、改めて知ることも多い。現代アートにそれほどの興味を抱いていなかった自分にとっても、村上隆の海外に波及している影響力というものは、ルイ・ヴィトンとの作業を通じて何となく知っていたけれども、まさか語学学校の、フランス人の文明講座を通して聞くことになろうとは、寸毫ほども思って居なかった。作家4人を計4時間で紹介するという極めて概説的な授業だったのだが、村上もその中の一人で、詳しいことには突っ込んでいなかった(加えて、あまりにモゴモゴと早口で喋る先生だったので、よく聞き取れなかったのもある)。

 そのレポートを書くことになって(フランス語で書くので、簡単なことしか書けんが…)、東浩紀の『動物化するポスト・モダン』のことを思い出し、最近の彼の活動が気になって、インターネットに繋いでみると、どうやら彼のツイッター上で、一騒ぎになったらしい。早稲田大の学生がカンニングした、どうのこうので炎上したようだ。ついでに村上自身のツイッターも見つけてしまった…。この空間を見ていると、公共的性格を持つはずの空間と、私的空間の境界が曖昧になってくる、という(誰だか忘れたが誰かの)議論をも思い出す。流行に疎い自分は、遅ればせながらツイッターがいかなる空間を形成するのか、初めて少し理解した。こんな機会でもない限り、多分覗かなかっただろう。

 そこで目についた発言に、「ゆとり世代だから…」なんて発言があった。これは、侮蔑的な意味を含んだ、2ch的言説なのだとばっかり思っていたが、どうやらこの世代の自己正当化の文脈でも、またその世代に属する人の、その世代との差異化を図る文脈にも使われるらしい。いずれにせよ、その世代の自己理解としても使われる、ということにようやく気づいた。これは、非本来的存在了解。

 話変わって、その講義の終了後、8月という季節もあり、夏休みに留学に来た日本人同士が、紹介された村上の作品群を指し「あれが日本だと思われても困るよね…」という趣旨の会話をしていたのを思い出す。いまやそれが現実なのだから、そこから思考を出発させるべきなのに、それを否認しているとしか思えない発言。もし、その現実を否定するにしても、それ以外の仕方で、それ以上の強度で「日本」を語らないといけないはずだろう。現に、フランス(に限らないと思うが)の若い人たちにとっては、村上がソースにしたサブカル的現実に目が向けられているのだから。

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失敗談 自転車

 丁度3ヶ月、第13週終わり。

 土曜~日曜にかけてインターネットに接続できず、予定していた日時の更新が遅れました。多分、集合住宅タイプのインターネット回線なので、サーバーが負荷に耐えられなかったのかな…と思います。寮の入居者は増える一方なので、これからも、サーバーがダウンすることはしばしば起こりうるかと。

 

失敗談は、自転車1号機について、です。

 今乗っているのは、2号機です。2台目だと説明すると、大抵の反応は当然、「1台目はどうした?」と返ってきます。この問いには、端的に「壊れた」と答えます。すると、「自転車って壊れるものなの?」という反応。

 うーん。完全に壊れたとは言い難いのですが、「危ないので乗りたくない」というところが本音。やっぱり、安物は安物でした…。安物でも、その使用の仕方によっては、しっかりメンテナンスを行えば、十分使用に耐えうるのだと思いますが、そのメンテナンスにどれだけ費用と時間がかかるのか、またあるいは、使用法を限ることは行動範囲に制限をかけることになりはしないか、そもそも、自転車本来の耐久力を上回った負荷を自分がかけていないか、と考えたところ、2台目に切り替えるという決断をしました。気分転換に自転車を漕ぐというのは、重要な要因なので…。

 ディジョンは、自転車(と気力・体力)があれば、何処にでも行けてしまうサイズの都市なので、フットワークを軽くするのに、自転車は個人的には必須だと思います。特に長期滞在を計画している方なら、お勧めできます。冬はどうなるのか、まだ分かりませんが、凍結した路面を走る…となると少し怖いかも。

 1台目は、大手スーパーの Carrefour 内部で、「安売り」で売られていたもの。89€のマウンテンバイク。スーパーで売られているものは、ディスプレイ商品をその場でそのままお持ち帰り、という格好なので、メンテナンスなんてしているわけがありません。

 さて、1台目の問題点。


☆その1:フレームの設計・構造がいい加減

 自分の力>フレームの耐久性、となっているみたいで、そこかしこでミシミシという音がします。2台目に乗った後に気づきましたが、どうやら、自分が乗っている際にかけている力を正しく車輪の回転に生かさずに、逃がしていたようです。フレーム構造がいい加減であることは、自転車自体のバランスの悪さにも繋がってきます。これはスピードを出したときの潜在的な危険です。特に、(日本と比較して)道路の状態が決して良いとは言えないフランスでは、安定性は大きな問題です。

 フレームの脆弱性、安定感の悪さは、以下に続く顕在的な問題点を引き起こしました。


☆その2:ペダルが外れる

 普通に漕いでいたら、ペダルが外れかけました。ありえんだろ…。根幹部分の一つだぞ…。


☆その3:メンテナンスがなっていない

 これは、顕在的には、ハンドル右手にある後輪の変速機を固定するネジが外れ、空回りするという現象で現れました。気づいたときにはすでにネジを紛失していました。左手で変速機自体を抑えながら、右手で変速すれば、問題なかったので(友人に言わせるとあり得ないらしいですが…)、しばらく空回りする状態で乗っていました。


☆その4:事故の危険性・安全性に根本的な問題

 ある日、下り坂を降りていたところ、バランスを少し崩しました。体勢を立て直そうとしてハンドルを切ろうとしたら、かえって大きくバランスを崩して、自転車が完全に制御不能に陥りました。危うく転びそうになりました。落ち着いた後、自転車をよく見てみると、ハンドルが在らぬ方向を向いていました。定位置から約60度ほども曲がった向きになっていました。どうやら、ハンドルと前輪の軸の接点が1点で留まっているらしく、大きな力を加えると、簡単に曲がるようです。これは、自動車にたとえるならば、ハンドルを切っているのに直進してしまうようなものです。

 車道を走っていたときに起きたことなので、万が一にも、後続車がいたら、轢かれていたかもしれない。

 これは、根本的かつ致命的な欠陥だと思うようになり、この自転車を乗るのが怖くなりました。

 製造者責任法が存在する日本では考えられないような、安全性に問題があるような商品が売られている…と思います。この問題が発覚してから、2台目に乗り換えることを検討し始めました。実際に2台目を買ったのですが、その値段を、他国の友人に話すと、自転車に一瞥をくれただけで、即座に「高い」という反応を示します。ただ、潜在的な危険性や、それに対する対処の仕方というのは、外見だけ見ても分からないもの…。「自転車屋で、同時に安全とメンテナンスを買う」という意識は、あまりないようです。実際2台目は、1台目に比較すれば、安定性に優れているし、フレームもしっかりしてる。加速の伸びも全然違ったりして、見えないところにかなり違いがあるのですが…、それには当然気づいてもらえないです。

 なので…、もし自転車等、身の安全がかかったものを買うときは、自分の使用にあったものを選び、やはり慎重な検討を要するということでしょうね…。安けりゃいいってもんじゃない、っていうのはつくづく思わされました。

 も1台目の自転車は、「事故を起こしても、僕は知らないし、乗るにはかなりのメンテナンスが要る。それでも乗りたければ勝手に乗ればいい」と友人に言って、未だに寮の駐輪所に放置してありますが…。

 
 蛇足ですが、一定ランク以上の自転車の変速機は、全て日本の釣具メーカーであるSHIMANO社製でした。

 ハァ…、日本は安全に金を出しているのだなぁ…モノが多少高くても頷ける訳だ…。逆にそれに気づかない、そういう感覚がない外国人にとっては、理不尽に高いと思われるのかもしれませんがね…。

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