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旧ディジョン日記(移転しました)

以前フランスの地方都市ディジョンでフランス語を学んでいました。

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更新お休み

ここ2週間ほどのアクセスを見てますと、日・月曜日に見ていただいている方が多いですね。もしかしたら、日曜更新と宣言しているからかなぁ、と思いますので、予告しておきますと、次回1月30日はパリに遊びに行くため、更新いたしません。出発は29日の昼。ディジョンに戻るのは2月4日か5日になると思います。

これだけでUPするのはもったいないのでオマケつけときます…。

一枚目の写真は何の建物でしょう?
Post.png
答え→ディジョンの中央郵便局←(白字で書いてあります)

これはその横の通りです。
anny.png

次回はパリパリパリ、になる…といいかな。美術館めぐりが目的なので、さてどうなるやら…。

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変わりゆく風景:ディジョン「郊外」

いきなりですが、質問です。これ、どこだと思いますか?
poincareacute; 2
勿論、フランスの風景の一端です。

フランスにそこそこ居ることによって、その色々な側面が見えてきました。↓は、ディジョンの中心街の一角の風景ですが、↓の写真ばかりが、フランスの風景ではない、ということ。まぁ、改めて言うまでもありませんが、実感できるようになるまで、そして、フランスの問題に興味が抱けるようになるまでは、それなりに時間がかかったということでももあります。
centre ville

今回ネタにしようと思っているのは、フランスの住宅事情のお話。何故、この話題に興味を惹かれたのか。僕が住んでいる寮の立地と密接に関係があるので、まずはその位置から。寮のすぐ前の通りの風景です。
pregrave;s de reacute;sidence

地図を見ましょう。赤丸でくくったのが中心街。緑丸でくくったのが今から話題にする一帯です。テンプレートの関係上、緑丸のほうは切れてしまったので、クリックお願いします。寮はこの緑丸のすぐ外に位置しています。
centre-notre cartier
緑丸から、赤丸まで、徒歩なら30分から40分くらい。自転車ならば15分から20分くらい、といったところでしょうか。つまり、物理的にはそう遠くない距離に位置しています。しかし、この辺りまで来ると、風景は一変してしまします。要するにここは「郊外」あるいはその入り口なのだな…と思わされるわけです。

さて、問題は…というと、都市部、特に大都市などに顕著な問題として、住宅行政のあり方に、戦後以降のフランスは、常に課題として取り組んできた、という歴史があります。

まぁ、これはディジョンの話題なので、大都市の問題枠をそのまま当てはめる訳にはいかないのですが、大きな問題の文脈として少し紹介を試みてみようかと思います。何分、具体的に立ち入ると非常にヤヤコシイ問題なので、門外漢には、大雑把に過ぎる仕方でしかできませんが…

これを書くにあたって、参考にした文献がネット上にありますので、紹介しておきます。

檜谷先生の論文(PDFファイル)

ドメインを見ると、立命大学の先生みたいですね。学術的なスタイルで書かれている論文なので、読みやすいわけではありませんが、フランスの住宅行政の歴史を概観できるようになっています。興味がある方は是非アクセスしてみてください(日本語です)。

さて、大雑把に語りますと…(論文を読んだ方へ:僕のまとめが間違っている場合は遠慮なく指摘お願いします)

フランスは住宅困窮者に対する行政の支援が手厚い国だ、ということはご存知の方も多いでしょう。要するに、政府(あるいは地方自治体)が住宅を供給するということです。勿論、民間が着手する場合もありますが、他国と比較した場合、行政が住宅を供給する割合が高いそうです。長らく、中央が強い権限を持つフランスにあっては、住宅行政は国主導で行われていたらしいのですが、1990年代以降、それまで発生してきた問題から、そのあり方に改革がなされたそうです。つまり、地方自治体が、住宅分布の施策決定にそれまでよりも大きな比率を占めるようになったそうです。

では、要するに住宅行政の「地方分権」を促した問題とは何か?

ひとつには、特定社会層のある一帯への固定が挙げられます。困窮者を対象に作られた団地一帯から、経済的にそこから抜け出せない人たちが、常にその一帯に留まり続けて、ある一帯には、ある特定の社会層しか住まない、ということが生じたそうです。こうなると、治安の問題が起こってくる。つまり、社会に不満を抱く層はその層が集まる一帯に、困窮者は困窮者の一帯に…、という悪循環が生じてくるようです。檜谷先生によりますと、警察官でさえ、足を踏み入れるのを躊躇するような治安の悪い一帯が形成されてしまったようです。こうした問題が顕在化したのは、1980年代に起こったリヨン郊外での暴動だそうです。そこで、団地に対して、適切に社会層の分布を形成するため、言い換えるならば、社会層を分散させるための試みが、フランスでは行われているようです。そうした文脈において、住宅行政の地方への権限委譲、ということになるようです。

では、ディジョンでは…どうなのか。果たしてどのような問題の文脈から、これらの写真に写っている建物が建てられているのか、正確なところは分りません。しかし、僕自身の印象としては、↓の写真で見られる一帯には、特定の集団が多く集まっているようにも見受けられる。この団地の中に、スーパーがあるので僕もそこに時折買い物に行くのですが、ここに来るとかなりの頻度で「フランス語ではない言葉」をよく聞きます。スカーフを巻いた女性(つまりイスラム教)も、中心街で見るよりも頻度は圧倒的に多い。

もしかしたら、この一帯には特定社会層が集まっているのではないか?勿論これは憶測にしか過ぎません。しかしディジョンに限っていえば、治安上の大きな問題が起こっているとは思われないのも付け加えとく必要があります。

しかし、ひとつ確かなことは、↑の地図の緑丸でくくったところが、どうやら集合住宅の建設ラッシュの一帯ということです。これはどういう社会層を対象にして作られているのかは僕には分りません。

↓の中央に見える建物は、僕がフランスに来てから、完成したばかり。
olivia ruiz
そして、そのすぐ近くには、建設中の建物が2棟並んでいます。
en train decirc;tre construit 2
↓の写真の奥は建設中の建物。さらには手前には、今なお基礎工事中と思しき様子が伺われます。
en train decirc;tre construit

中心街の変わらぬ町並みがあるかと思えば、郊外には新興住宅街が裾野を広げつつある。これがフランスの変わりゆく風景なのだな…。

上掲の論文では確認できなかったのですが、恐らく、同時に旧市街・中心街の空洞化という問題もあると思います。立地条件から必然的に割高になってしまう狭小な部屋に加えて、不十分な上に、老朽化の著しいインフラの設備。他方、郊外には真新しいマンション群。昼間は賑わうディジョンの中心街も、夜になったらひっそりと静まりかえります。歩いていると、生活の匂いすら感じられない。ここに果たして人は住んでいるのか…と思うくらいです。

これから、どう変わっていくんでしょうね…。

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地獄の三丁目:ディジョンお散歩

何気なく散歩に出かけたときに、見つけたもののお話。
autour la rue
主役は、↑の写真です。何の変哲もない風景なので、今日は毒にも薬にもならないお話。

rue creux denfer
「地獄の穴通り」と書いてあるではありませんか…。すげぇ名前…と思って標識の示す通りを歩いてみたわけです。もちろん、期待させないために言っておきますが、何もありませんでしたよ

一応、場所を示しとくと…
plan de rue denfer
上の赤丸から入って下の赤丸へと出てみました。この通りは、Strasbourg 通りに面してます。地獄の入り口はシュトラスブール…って言ったら誰かに怒られそうだな…。この付近にあるバス停の名前も、シュトラスブールです。

strasbourg.png

入り口近辺には、こんなモニュメントが建っています。由来は分んない…。
tour.png
シュトラス通りを挟んだ反対側にも「へぇ…」と思った建物がありました。良いアングルが見つからなかったので見難いですが…これ、何だと思います?
grand chacirc;teaux
お城みたいな建物ですが、正解は、Maison de retraite と言って「退職者の家」です。どういう人たちが集まっているのか分りませんが、確かなのは、それなりにお歳を召された方たち、ということです。さすがに敷地内に入る勇気はなかったです。

「地獄の穴」へ入ってみると…
rue creux denfer 2
まぁ、普通の住宅街ですよね。

↓は「穴」という名前を疑いたくなったのですが…。
creu.png
この通り、中心街から見れば、小高い丘の途中にあるんですよね。丘の途中に「地の果ての底の穴」があるなんて誰も想像しないよなぁ、と思ったわけです。

さて、この通りは、ミランド通りに突き当たって途切れます。バス停も「地獄の穴」。これは良いね。すぐ覚えられそう。
creux denfer arrecirc;t de bus
宣言通り、全く実のない話でした。

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上を向いて…:ディジョンの屋根

写真アップするだけの、僕としては気楽な更新。

ディジョンでは、伝統的な屋根紋様があります。どうやって作るのか、どういう歴史があるのか詳しいことは僕には分ってないです…。今後何か分ったら書き足します。

あまり数は多くないのですが、町を歩いているとそこそこ見かけます。この前、天気が良く散歩したときに見た限りで写真に収めてみましたのでアップ。こまめにアップしないと、容量オーバーしちゃうのもあります。

toit.png

↑の写真では切れてますが、右側にある屋根の写真。
toit 3

真ん中にある屋根の写真。
toit 2

これは中心街のど真ん中にある通り。ちっちゃくFNACのおもちゃ屋さんの看板も写ってます。
bourgogne.png

↑の写真の奥にある屋根を拡大するとこうなります↓
toit 4

この屋根で町の全体を統一できていると、ディジョンの景観は全く違ったものになっただろうに…と想像してしまうのですが、残念ながらそこまでは数は多くありません。この様式で屋根が作られたのは、極めて短い期間だけだったのかなぁ…。それとも、特定の社会階級の家という意味があったのかなぁ。町の形成の歴史を知らないと分りませんね…。

ともあれ、ディジョンに来られる方があれば、時たま上を向いて歩いてみてると発見があるかも。勿論、犬の○ンには注意しながらね(そこまで多くないですが…)

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ルノー:産業スパイ

初めてニュースのことを書きます。ここ数日気になっている大きなニュースには、チュニジアの政情がありますが、そっちは置いといて…、僕が扱うのは――というか、むしろ日本の報道の扱いを問い尋ねてみたいという意味合いが強いのですが――フランスの自動車会社ルノーの話。

ルノーは、実は今、産業スパイにあったかもしれない、と騒ぎになっています。

ルノーといえば、日産との提携関係があるので、決して対岸の火事などではありません。日産といえば電気自動車の開発に力を入れているのは、ご存知でしょう。この問題の背景には、電気自動車の開発の主導権をどの会社が握るのか?という国際競争の問題が控えています。

いままで記事にしようかどうか考えていましたが、今日カルロス・ゴーン(日本でもお馴染みでしょう。ルノーと日産のCOEを兼ねています)がスパイにあったのは「確実」と発表したので、ちょっと記事にしてみました。まだ、調査段階にあるということもあり事件の経過をまとめるほどは書けないのですが、実はルノーが産業スパイにあったと発表したとき、報道がこの事件の嫌疑をかけたのは中国なんですよね。まぁ、まだ真偽のほどは分らないのですが、中国としても新規に市場が開拓可能な電気自動車の市場に食い込みたいのは確かでしょう。

今日の発表の記事から引っ張っときますと…

M. Ghosn s'est justifié, dans un entretien au Journal du dimanche et sur TF1, sur les six mois pris par la direction de Renault pour informer le gouvernement de cette affaire d'espionnage industriel qui a déclenché la colère de Pékin, la Chine ayant été citée dans la presse. "Il fallait faire nous-mêmes des premières recherches pour nous forger une opinion sur la gravité de l'affaire", assure M. Ghosn, précisant qu'il avait "suivi personnellement l'avancement de ce processus au fur et à mesure".


引用:Le Monde ウェブサイトより 1月23日。

下線部だけ訳。「カルロス・ゴーン氏は、プレスが中国を(容疑として)引き合いにだしたせいで、北京の怒りを引き起こした、この産業スパイ事件の情報について政府に通達するためにルノー経営陣が6ヶ月要したことについて、説明した」となっています。

この事件、ルノーのみならず、日産にも関わってくると思うので、知らんぷりはできないと思いますが、日本ではどのように扱われているでしょうか?気になるところです。

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衝動買い

本文は、全然フランス情報とは関係ないのですが…。無理やりこじつけますと、1月12日から、街中が冬のバーゲンに入っています。FNAC という、テレビ・オーディオ等の電化製品・本屋・CD・DVDを一手に取り扱うチェーン店で、DVDが5枚で30€というセールをしていたので、何か映画を見たいなぁと思って、買い物をしてきました。そこで合計5枚に達するまで、数合わせに選んだDVDのうちの1枚を観終えて、衝撃を受けたのでその映画の紹介をしてみます。要するに衝動買いのススメです…。

ちなみに、ディジョンのFNACでは、この時期の企画にスタジオ・ジブリ作品のDVDを3枚で30€(平常時は一枚15€;それでも安いよね)をもってきていました。店の中でジブリ作品が堂々と一角を占めていました。他にも、ワゴン・セール商品(5枚で30€)の中には、『時をかける少女』(細田監督)、『スカイ・クロラ』などが混ざっていました。

で、僕の買い物は…ほぼ「ジャケ買い」に等しいのですが…↓です。「面白そうだな」くらいの気持ちで買ったのですが、良い買い物でした。

les chats persans

なんと、これはイランの映画。イラン映画というだけで驚きなのですが、ジャケットに書かれている以外の何の情報もなしに、これを観てさらに驚かされました。というのも、この映画に収められているシーンが、イランの現実を反映したものなのだとしたら、映画を撮影自体が法を犯す行為だから。つまり、映画の台詞が事実ならば、いつ警察の介入があってもおかしくない状態で撮られている。なんなんだ!この映画は!と話が進むたびに考えさせられたからです。

この映画、日本にも輸入されたようです。邦題は『ペルシャ猫を誰も知らない』。フランス語題は短く『ペルシャ猫』とだけなっています。渋谷で2010年8月に上映されたのはインターネットで確認できました。僕はこの期間には既にフランスにいたので、日本でこの映画がどの程度話題になったかどうかは知りません…。インターネットで確認する限りでは、結構な数のコメントが見つかりました。

ストーリーは…

イランで活動する2人のミュージシャンが、表現の自由のないイランを離れて、ヨーロッパで音楽活動を望んでいる。しかし、ビザもパスポートも手に入らないし、国内で音楽活動をする許可もない。そこで、合法・非合法を問わず、何とか手を尽くして海外へ行く手段を探す、という物語です。

細部が面白く、色々なことが見えてきますが、一番大事だと思うのは以下の点です。

そもそも、イランではロック・ミュージック、ポップ・ミュージックは厳しく規制されているようで、認可を必要とします。もし認可を持たない状態で活動しようものなら、隣人が警察に通報して、御用となる危険性がある。しかも、この映画に出演しているのは、現実に地下活動として音楽活動を続けているミュージシャンたちだ、というから驚きです。実際、撮影はゲリラで政府の認可をとらずに行われたということが、この映画を貫く緊張感なのだと思う。言い換えると、ゲリラ撮影に加えて、無認可のバンド活動という2つの要素が絡んでいるため、この映画は現実に警察の介入と隣り合わせの状態で作られている、ということです。

この映画を撮影し終えた後、監督の Bahman Ghobadi をはじめ、出演したミュージシャンたちは、イランを出ることになったそうです。まぁ、当然だよなぁ…。

もし映画に興味があるかたは、『ペルシャ猫を誰も知らない』でググって見てください。これについての詳細は、フランス語吹き替え・字幕で観たため、十分に理解できでない部分も多かったので、他の人のコメントに委ねます。

ところで、語学学校には、サボりがちではありますが、イラン人の知り合いが一人います。彼は、父親と一緒にフランスにいるようです。「何故、フランスか?」と聞いたところ、「大学院進学のため」という答えが返ってきました。何だかはぐらかされた気分になりました。彼を見ている限りでは、後ろ暗いところが何一つなく、極めて明るい性格の持ち主で、それ以上のことは何も考える気にはならなかったのですが、この映画を観終えた後、やはり彼自身もこのままフランス国籍を取得する気なのかな、と再び疑念が持ち上がりました。何分学校には来ていないので、確認が難しいのですが。

ランキングにこっそり参加中。今回はイランの話になってしまいましたが、それでも留学のひとつの成果!と胸を張って、はっつけておきます。
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熟語表現:髪は女の命、あるいは男の懸念

今日は「髪」に即して、フランス語の熟語表現を拾ってみるという企画にしてみました。

タイトル通りのフランス語の表現があるわけではないので、まぁ…ちょっと釣りですね。まとまって見ていると、「髪」についての捉え方が違いが見えてきて面白いので、こういう企画です。



と、その前に、天気の話題。ディジョンは、ここ3日ほど濃霧が続いていました。気温は0度から10度の間といったところでしょうか。底冷えのするような寒さではなく、比較的過ごしやすかったのですが、3日が3日中濃霧という体験は日本ではしたことがなかったので、まずはその写真からUPしたいと思います。

↓こうなってみると、あたかも草原のような印象を与えますが…
Sans titre

実際はこの辺。ブルゴーニュ大学の構内です。↑では、100メートルほどの視界もおぼつかない…。
ordinaire.png




さて、本題。今回の記事の参考文献はこれ。Robertの表現辞典です。喩えるなら、でっかい熟語集です。勿論フランス語で書かれています。これが良いのは、語源が載っていて、解説もしっかりしている。どうしてこんな意味になるの?という疑問に答えてくれる(ことが多い)一冊です。
robert expression

では…「髪」について引いてみます。勿論 Cheveu ですよ。まずは出題編。ちょっと考えてみてください。一部、日本語の意味との違いを示すために、また、フランス語が分らないという人のために、とりあえず熟語の意味ではない直訳をつけておきます。


☆出題編

1. s'arracher les cheveux (自分の髪を引っこ抜く)
2. avoir mal aux cheveux (髪が痛い)
3. couper les cheveux en quatre (髪を4つ切りにする)
4. faire dresser les cheveux sur la tête (頭の上に髪を立てる)
5. être tiré par les cheveux (髪で引っ張られる)
6. prendre(saisir) l'occasion aux cheveux
7. cela arrive comme un cheveu sur la soupe (スープの上の一本の髪の毛のようにしてそれは起こる)
8. il s'en faut d'un cheveu 





☆回答編

1. s'arracher les cheveux
自分で自分の髪を引っこ抜くほどの感情、つまり「絶望・憤怒・苦悶といった強い感情を抱いていること」を表す表現です。

2. avoir mal aux cheveux
「二日酔いで頭が痛い」。頭と髪の位置が近いので、頭を髪で置き換えた表現(小難しくは「換喩」といいます)。

3. couper les cheveux en quatre 
床屋に行って、髪を4つ切りにするようなことを想像するといいかもしれません。よりよくしようとして、度を越してやりすぎてしまうことです。「凝りすぎる」となります

4. faire dresser les cheveux sur la tête 
日本語には、怒りと逆立った髪を結びつけた表現に「怒髪天を衝く」というものがありますが、フランス語は、髪が逆立つほどの感情は、怒りではなく「恐怖」です。ピッタリ来る日本語はむしろ「身の毛がよだつ」ですね。うーむ。

なお、英語をご存知の方に注意ですが、dresser は、英語の dress  と意味が違います。2つとも、ラテン語の、directus 「真っ直ぐにされた」に語源を持ちますが、この原義の意味に近いのはフランス語のほうで、英語のほうが転義でしょうね。つまり英語は、「真っ直ぐ」→「身なりがいい」→「服を着せる」になるのだと思います。

5. être tiré par les cheveux
髪を引っ張られれて無理やり連れて行くってイメージですかね。これは特定の場面につかわれ、「議論の筋道がほとんど通っておらず、無理やりこじつけられる」を意味します。能動態でもつかわれるようです。

6. prendre(saisir) l'occasion aux cheveux
これは、知っている人も多いのでは?と思って訳はつけませんでした。「チャンスをすばやくつかむ」という意味になります。Robert の解説によると、「髪は我々の文化においては、魔術的な力の象徴である」となっています。ふーむ。

7. cela arrive comme un cheveu sur la soupe
全体で「場違いである、都合が悪い」を意味します。日本なら味噌汁の上でしょうか…。味噌汁の上に髪の毛が浮いていると、確かに場違いですよね…。解説によると、この場合の「スープ」は、「ブイヨンあるいはむしろ正確には食べ物一般という現代的な意味を持っている」とのこと。「スープ」自体の意味合いも変わってきてるのですね。

8. il s'en faut d'un cheveu 
さて、最後。これはヤヤコシイので、少し長めの解説が必要な表現ですね。「髪」は、たいていの場合は、les cheveux と複数形で使われるのが普通です。「一本の髪」として使われているこの場合、比喩的な意味を表します。「ここでは、とても細い、微細なものを表している」となります。ここで、少しヤヤコシイ構文を押さえておきましょう。

Il s'en faut de ... 「何々するまでには、de ... が欠けている」という意味です。

これは応用が効いて、

・il s'en faut de beaucoup que + Subj.
「何々する(que 以下)までには、いっぱい欠けている」→「何々するには程遠い/及ばない」

・il s'en faut de peu que + Subj.
「何々する(que 以下)までには、ほとんどない」→「もうすこしで、何々するところだ」

que 以下は、実現していない内容をとるので、必ず接続法をとります。

となると、

il s'en faut d'un cheveu que + Subj. は、「髪の毛一本ほどのわずかなところで、何々するところだ」となります。


主に複合過去で使われることの多い構文なので、

il s'en est fallu d'un cheveu que + Subj.

と覚えておくのがいいかもしれません。


こうやって見ていくと、日本語の「紙一重」は、フランス語では「髪一重」だということですよね。




☆おまけ


ちょいとばかり、おふざけでこんな例文を作ってみました。


Il s'en faut d'un cheveu que Namihéi devienne chauve.

訳:波平は、髪の毛一本のところでハゲになるところだ。(ハゲまで「髪」一重である。




























20090729123242_20110119095617.jpg

Wiki によると、波平さんは育毛剤を愛用しているそうです。

最後に、もう一個作文してみました。

Il faut rester zen de peur qu'on ne s'arrache les cheveux !

意訳:自分の髪の毛を引っこ抜くほど心を乱さないためには、禅の境地でいる必要がある。

まぁ、禅僧も剃髪してるので、抜く髪はありませんけどね。


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禅・ア・ラ・モード の袋小路

先日、ブログタイトルにサブタイトルをつけましたが、そのサブタイトルの通りに少しマニアックな内容をようやく書くことができそうです。従って、初めてこのブログに訪れていただいた方には、この記事は飛ばして他の記事から読み始めて頂きたいと思います。ちょっと全ての人の興味を惹くかどうかは自信がありませんので…。

今日は禅の話。ア・ラ・モードとは、勿論フランス語で、à la mode と綴り、「流行の」とか「流行の状態にある」という意味です。フランス語になった日本語として最も有名なもののひとつには、禅(Zen)という言葉が挙げられます。禅といっても…例えば町のあちこちで、こんな人たちを見かけるわけではありません。

410px-BodhidharmaYoshitoshi1887.jpg
(Wikipedia :達磨より)

この語は、rester zen とか être zen という使い方をされて、実際の仏教の一派を指すのではない場合には、「心を落ち着けて」という意味合いになります。

さて、ことの発端は、さる御仁のブログにこの語の話題があったので、僕なりに調べてコメントを付したことに遡ります(後述)。その時、疑問に思ったことがあったのですが、しばらく疑問を放置していました。しかし、やはり調べてみるか、という気になったので、インターネットで調査開始したわけです。つまりこの記事は僕としては追跡調査というわけです。

まずは、この語の語源を探るべく、以下のページにアクセス。
これは、僕のリンクにも貼ってありますが、Lexilogos という辞書サイトからアクセスして見つけたページです。つかい方はいろいろあるので、是非つかってみてください。豊富な例文量で、お手持ちの辞書を補完する役割を果たしてくれると思います。
リンク:Lexilogosへ

僕が気になったのは、禅の語源。いつ、誰が紹介したのか?

ZEN, subst. masc. et adj. inv.ZEN, subst. masc. et adj. inv.
Étymol. et Hist. 1889 (Ryanon Fujishima, Le Bouddhisme japonais, p. XXV).Mot japonais, transcr. du chinois chán « quiétude », du skr. dhyāna « méditation » (v. NED Suppl.2 qui atteste la forme Sen en 1727 et Zen en 1834).


http://www.cnrtl.fr/definition/zenより

引用によると、1889年、リャノン・フジシマ(Ryanon Fujishima)氏の著作『日本の仏教』という本に顕れるらしい…。そして、さる御仁のブログのコメントにこのページの情報を書いて、とりあえずよしとしたわけです。ちょっと注意が必要なのですが、禅の概念自体にフランス語で言及されているのは、もっと古く、昔は Sen と Zen との綴りの2通りあったそうです。それはさておき…

勿論、疑問に思うことがあります。「フジシマ」という名前です。これは誰だ?もしや日本人か?

ひっかかったまま数日が過ごしたころに、やはりこの問題を追求してみようと、再びインターネットにアクセスしたわけです。そうして、まずは、Google に Ryanon Fujisima と打ち込み、検索をかけてみたところ…嫌な予感がする…。まずは検索結果が70件しかない!まぁ見ていただきましょう。

ryanon fujishima
(Google 12月16日時点の検索結果より)

問題は、赤枠。上2つの結果は、さる御仁に書き込んだ、僕の書き込み。なんとまぁ、世界は狭いことか…。フランス番長さんは、現在ブログ記事を更新していませんが、僕のお気に入りのブログのひとつなので、是非アクセスしてみてください(もちろん日本語です)。キャトル・シス・キャトル・ヌフ!なお、リンクも貼ってあります。

赤枠の2つ目は、先ほど引用したページ。うーぷす…これ以上、手の打ちようがないのか!?


トドメを刺されたのは、このページでございました。これはグーグルの電子書籍のページで、論文集のようです。タイトルは、Les études françaises au Japon 「日本におけるフランス研究」と訳せばいいのでしょうか。全部読めていないので、タイトルの意味するところまでは突っ込めていませんが…。

saburo aoki 1

さて、ご覧の通り、この中のひとつの論文に、Ryanon Fujishima氏に関する言及を含んだ論文がありました。 この論文は、日本の筑波大学は青木三郎教授(フランス語学)の手によるものです。しかしね…僕は、この論文読むまでもなく、フジシマ氏の追跡調査がここで終わるな…ということに気づきました(その後、結局論文は、131・132ページを除いて全て読ませていただきました)。といのも…

un certain

「禅という言葉がフランス語に現れるのは、『日本の仏教』という、フジシマ・リャノンとかいう人によって1889年に書かれた本においてである。しかし…」リンク:青木三郎先生の論文p.135より


こう書かれるということは、筑波大の先生にも、これが日本人かどうか詳しいことは分ってないのか…ということは、僕の手のうちに収まる問題ではなくなってきたな…。これはパリの国立図書館に行って、1889年のこの著作を探すところから始まりそうだ…。いや、やりたくないし…ブツブツ。

と、袋小路に嵌ったわけです。

この論文について補足をしておきます。

青木先生のこの論文のタイトルは、

Les échanges franco-japonais à la lumière des emprunts lexicaux 「仏日の交換、語彙の借用に照らして」

であり、その構成は、第3節を除いて(グーグルの都合上閲覧できませんでした)

イントロ
1.日本語の語彙におけるフランスの言葉の位置
2.日本語の語彙体系におけるフランスの言葉の機能の仕方
3.?
4.フランス語の語彙における日本の言葉
5.21世紀のフランス語における日本の言葉
6.結論に代えて

となっています。豊かな日本語観察に基づくもので、なおかつフランス語としても話題としても親しみやすいものなので、読みやすいと思います。興味あるひとは是非是非。

僕は、この論文で例とされている「マダム・キラー」(マダム:仏語+キラー:英語)の造語にハッとさせらました。というのも、新宿の「コム・デ・ギャルソン」(仏語)の「メンズ館」(英語+日本語)を見たとき、「なんという折衷主義!!!うわー…これはセンスあるんだろうか」と思ったことを思い出したからでした。

さらに、これはやや脱線ですが、引用した箇所のすぐあとには、青木先生によれば、「禅」という言葉は、まず1950年代のアメリカにおいて流行し、その後60年代のフランスにて、流行したとのこと。ということになると、まずは英語圏で流行ったことになるので、勿論、この場合、鈴木大拙氏の労作の影響を忘れてはならないのではないか…と推測できるのかもしれません。もしこの推測が正しければ、まずは鈴木氏が論文を発表した1900年のイギリスから初めて、彼の英語圏への影響に注目し、続いてアメリカ‐フランス間の戦後の文化交流のあり方を瞥見する必要がでてきます。とりわけ60年といえばアメリカではヒッピー文化が隆盛してますので、この若者文化における「禅」の受容という視点も出てくるかと思います。それらをふまえて、フランス語の流行へという手続きをとれば、これは立派な論文になりそうです。となると、完全に僕の手には負えんぜー…。

ここで、僕の調査は終わりです。

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日本語の柔軟性を再認する

語学学校の授業にて、先生が黒板にこう書いたとき、ことは起こりました。

Adolf Hitler

世界の悪名の五指には入ろうかという名前です。言うまでもなく、アドルフ・ヒトラー。誰もが知らぬはずのない名前だと思っていたら、恐らく高校を出てからフランスに来たと思われる中国人(正確には、マカオ出身のため、ポルトガルとの二重国籍)が、「知らない」と言ったので、驚かされました。厳密に言うと、ヒトラーその人を「知らない」という訳ではなく、「知っているが、アルファベットでどの様に綴るのか知らなかっただけ」ということでした。そこで、気になって授業後に、「ヒトラーは、中国語でなんと呼ばれるの?」と聞いたところ、想像を絶する答えが返ってきました。全然違ったわけです(書けません)。

そこで、他に2人の台湾人も交えて、ニコラ・サルコジ、フランソワ・ミッテラン、シャルル・ド・ゴールなどの歴代の大統領を聞いてみたところ、サルコジ、ミッテランは、ほぼ「ニコラ・サルコジ」「フランソワ・ミッテラン」と呼ばれていたのに対して、ド・ゴールは、聞こえたとおりに書けないのですが、「大ゴール」(偉大なゴール)という説明でした。勿論、日本語で言う場合の当て字を使って表記しているのは言うまでもありません。

逆に、日本語はどうか、と尋ねられ、「日本人に聞こえる音を、ほぼそのまま表記する」と言って、またもや「日本語には、3つの文字体系があってね…」と平仮名とカタカナの説明になったのは言うまでもありません。さらには、食事中だったので、目の前にあったバナナを指して、バナナは「バナナ」というし、フランスは「フランス」、インターネットは「インターネット」で英語からの流入だよ、と説明すると、驚きを交えて「便利だなぁ」という表情をされました。その3語とも、中国語の発音では僕には書くことの出来ないものでした。日本語を知らないある台湾人に、「それだったら、外国語が日本語にほぼそのままなっているわけだから、外国語の勉強に、中国語圏の人より有利なんじゃない?」という趣旨のことを言われました。うん…確かにそうかもしれない、がしかし、その分、わけの分らない日本語が氾濫しやすい、ということは説明しませんでした。というのも、次のような日本語のフランス語訳が思い浮かばないし、浮かんでも通じるかどうか分らないからでした。もう定着したと思いますが、ひと昔前なら、インフォームド・コンセント(訳語つくられましたっけ?)、他にも、環境アセスメントなどなど、初見には「なんじゃこりゃ」という語彙が平気の平左で通用してしまうのが日本なんだよなぁ。

日本語における、「外国語」の氾濫は、正直未だに西洋コンプレックスが垣間見れるような気がしてならない一方で(※注)、高校生程度の学力がある学生が、Hitler を見て「ヒトラー」と認識できない中国語も外国語の翻訳に関しては、なかなか苦労が絶えないのだろうなぁ、と思わずにはおれません。ただし、ミッテランとサルコジの例が示すとおり、中国自体の、あるいは世界規模での国際化が進む中で、中国語自体も変わっているのかもしれません。

※注)例えば、「セレブ」、「マダム」とか、とっくに「外国語」ではなく、定着してしまって「外来語」になっていると思いますが、「著名人(あるいは金持ちか?)」、「婦人」と言うのを避けて、あえてこの語に肯定的な意味を込めて使うのは何で?そっちのほうがお洒落だから?と首をひねらずにはおれません。まぁ、だから日本語は面白い、と言うことが出来るのかもしれませんが…。とはいえ、自己弁護をしておきますと、一方で、本文中で不意に書いてしまった「コンプレックス」という語に関して言えば、「劣等感」と訳すこともできるでしょうが、それだと意味が広すぎて、「抑圧されて意識化に存在する」という意味は消えてしまう。まぁ確かに、訳すのが難しい単語は、そのままカタカナ表記で使ってしまうのが楽…ですよね。コンプレックスは中国語でどう書くのだろう…気になるな。

改めて日本語とは、良きにせよ悪しきにせよ、柔軟なのだなと再認したわけです。


※追記 

その後、グーグル翻訳を使って、ヒトラー、ド・ゴール、ミッテラン、サルコジ、コンプレックスの中国語表記を調べてみたところ、以下のような結果が出ました。括弧内は伝統的字体。

ヒトラー:阿道夫 希特勒
ド・ゴール:戴高乐(戴高樂)
ミッテラン:弗朗索瓦 密特朗
サルコジ:尼古拉 萨科齐(薩科齊)
コンプレックス:复杂(複雜)

「ニコラ」を「尼古拉」、「アドルフ」を「阿道夫」とする辺りには、なるほどと思いましたが、しかし、ヒトラーとサルコジの場合、ニコラまで打つと、これらが表記されているのですが、サルコジと入れると、ニコラ(尼古拉)が消えてしまいました。苗字でしか呼ばないのかな。同様に、ヒトラーは、「阿道夫」が消えて、「希特勒」になってしまいます。ついでにコンプレックスの訳語は、多分これでは、精神分析から由来した意味合いは含まれないでしょうね。ヒトラーは「希特勒」、おそるべし中国語。

実は、しばらく前から、日本帰ったら暇を見つけては中国語もやってみようかな…と考えています。僕の目標の関係上、西洋語をまず重点的に、というのは避けられないのですが(このブログでは全く話題にしませんが、英語の他、ドイツ語、イタリア語を少し齧っています;もっとも力点を置く言語がフランス語だからです)、韓国人・中国人・台湾人が日本語をちょっと、あるいは結構知っていたりするのには驚き、アジアにおける日本語の位置を思い知らされる日々です。聞くところによると、韓国の高校では英語に加えて、第三外国語として日本語も履修できるとのこと。一方、日本はといえば、英語のみに汲々とするばかりで、アジアの言語は大学に入ってからの後回し、という教育制度になってますよね。これはいかがなものか、と、アジアの言語を省みてこなかった自分への自己批判をも含めて、このように近頃考えるようになっています。

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旅日記番外編:トゥールーズのクリスマス市

本文とは関係ない話題から…

ブログタイトルを変えました。開設当初は細々とする予定だったブログでしたが、コメントも残していただけるようになって、段々アクセスアップが楽しみになってまいりました。意識が変わってきたわけです。そこで、半年以上経って、今頃かよっ、て感じですが、「ブログタイトル地味すぎないか?」と気づきました。多分、多くの人が、このタイトルだけを見て、「ディジョンって大体どこだよ?!」、「しかも平仮名で『にっき』って小学生かよっ!」、って思っているに違いない、ということに今更気づいたのです…。そこで、インパクトのあるタイトルに変えようかと思い至ったわけです。多少不遜であるのを承知の上で、サブタイトルを加えました。サブタイトルに見合うように今後フランス語学習のトピックも増やして行こうと思います(逆に読者様減ったりしてね…)。

さて、本題。といっても写真アップするだけなんですが、旅日記番外編として、トゥールーズのクリスマス市の様子をアップします。

クリスマス市とは?フランスでは、各地の都市で、12月頃の初頭くらいから、12月いっぱいの間、町の広場で市場が立ちます。ディジョンにもあったのですが、ふーん…くらいで写真には収めなかった。規模が小さかったんですよね。今回の旅のほぼ全ての都市に市が立っていました。中でも一番規模の大きかったトゥールーズの市の写真を中心に旅日記の締めくくりとします。クリスマスを過ぎても、つまり12月25日以降もやっているところは多く、何日までやっているのかは正確なところよく分りませんでした。30日に戻ってきたら、ディジョンは見事に撤去されていましたが…。

以下は12月27日の写真です。この日は最高気温が5度以下じゃなかったかな…比較的寒い日だったと思いますが、それでもフランス人たちは外に出てきますね。
la nuit de Toulouse
日本の縁日とイメージとしては近いと思うのですが、縁日よりもしっかりとした小屋を立てています。まぁ期間が長いから当然だよなぁ。テキヤみたいな職業が、フランスにも存在するのか、どうかはよく分りません。
ojityan.png

商い中をちょいと失敬。
lumiegrave;re

これはバナナの形をかたどった何か。お菓子だとは思いますが…
bananas.png

これ、フランス料理ではないと思うんですが、良い匂いしてたので撮っちゃいました。
hot dog

ついでに、教会にもご登場いただきましょう。ライトアップされてて綺麗でした。
eglise toulousaine

最後に…ちょっと注意。トゥールーズの宿に入ってすぐのこと、ホテルのフロントで「○○一帯は夜女の子が独りで入っちゃいけないところ」と注意をされ、地図にその一帯を図示してもらいましたました。トゥールーズは、それまでの町に比べては格段に人が多く、まぁ言うまでもないことかもしれませんが、治安の悪いところが存在するのは確かなようです。一人旅の場合、ホテルや観光案内所で確認してみたほうがいいと思います。

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「ヨーロッパ情報」は外しちゃいました…。

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日本の正月について フランス人のブログより

Facebook 上で、友人から紹介された日本の記事に失笑してしまったので、転載しておきます。

http://www.paperblog.fr/4001338/bonne-annee-japonais-mefiez-vous-du-mochi/

これ、どうやらフランス人?が書いているブログのようです。

タイトルは、

Bonne année japonais, méfiez-vous du mochi! 「日本の新年、餅には気をつけて!」というお餅の話です。

「厚労省の正月の心配事が、餅を喉に詰まらせて死ぬ人」とのこと。このことだけで、`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!と吹き出してしまったのですが…。

Comment faire pour débloquer le mochi dans la gorge? Avec un aspirateur! Sérieusement, un embout d'aspirateur est commercialisé spécifiquement pour aspirer le gateau de riz dans la gorge.


「喉に詰まった餅を取り除くにはどうするか?掃除機を用いる!冗談ではなく、喉の餅を吸い取るために特別に商品化されている掃除機の先端があるのだ。」

いやね…笑った。いやいや…確かに餅が喉に詰まる場合には真剣な問題だけど、そんな真剣に書かれるほどではないから、と突っ込みたくなったのは言うまでもないですが、僕たちが勝手にフランス人のイメージをいい意味でも悪い意味でも書き散らすのと同じですよね。おあいこ、おあいこ。これがジャーナリズムによる記事だったらボロクソに書いてやるところですがねぇ。

ところで、餅を gâteau de riz 「米のお菓子」と表現してますね。gâteau には「練って固めたもの」という意味もあるらしいので、そっちの意味だと思いますが、しかし、こうやって表現すると、どれだけのフランス人が餅が「甘いもの」と思ってしまうのか、気になるところですが。

他にもフランス人のブログを探してみると面白いかもしれません。

※フランス人が書くものも、書記法として正しくない場合がありますので、読む場合には注意してくださいね。

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教皇の住処の風景 旅日記:2010年12月29~30日 アヴィニョン3

結局、寮のサーバーのせいではなく、僕の書いた容量が大きいらしく、記事を3分割することで、この問題を回避しようと思います。従って、書いた順番としては1→2→3ですが、1は異色の内容なので、順番としては、2と3からでも構わないな、と思い、書いた順番と逆に3→2→1と見えるようになっています。

アヴィニョン。天気のせい、もっと見回れるところがあるのに時間の足りなかったせいもあって、いまいち物足りない写真ばかり残りました…。出来るだけ脱線してみようとしたところ逆に長すぎになったわけです。

教皇庁内部。写真がパッとしないのしかないのは、理由があります。
dans le palais 2
入館料、一般で10.5€もします(各種割引があるので、確認してください)。一見すると高い!とは思いますが、実はオーディオ・ガイドのレンタル料が込みの料金なんですよね。まぁ、それなら良いかな…って感じでしょう?しかもオーディオ・ガイド、日本語版もある!これは大きいと思います(聖ベネゼ橋も同様に割高な料金をとられますが、オーディオ・ガイドつき、日本語版あり)。このオーディオ・ガイドは教皇庁に入ったら絶対にとりましょう。

なんで、オーディオ・ガイドが必要か?

実はここは、視覚的にはあんまり面白くないんですよね…。僕たちが、アヴィニョンの前に、でっかい城塞(カルカソンヌ)とでっかい橋(ポン・デュ・ガール)を訪れているという引き算が働いているのもありますが…。しかし、教皇のお住まいなのだから、さぞかし壮麗なことなのだろう!と思っていたら、肝心の装飾、家具、調度品、ほとんどなし!あるのは、フランス語文章の解説のプレートが配置されているのみ!これは、フランス語が読めない人にとってはキツイ…だからこそ、オーディオ・ガイドが必須となるんですよね。片手と片耳が常にオーディオ・ガイドを保持するためにふさがりっぱなしになっちゃう。あんまり写真、写真、という感じの見学にはならなかったのが事実です。
dans le palais
そういうわけですので、教皇庁を個人で訪れる際には、時間に余裕を持って行った方がいいと思います。オーディオ・ガイドの内容は、かなり豊富です。果てしないんじゃないか…と思うくらい。ちゃんと全部聞こうと思ったら、3時間以上かかるんじゃないかなぁ…。僕も全部は聞き取れていないんです…。
palais des papes dedans
壮麗だったはずの教皇庁がなぜこんなに殺伐とした印象を与えるか。この事情は、教皇が去った後の歴史に求められます。大まかに教皇が去った後を追いますと、教皇が去った後、この地はイタリアから派遣された聖職者、つまり教皇の特使の手に委ねられます。1413年には大規模な火災が発生し、かなりの部分が焼失してしまうらしいのです。今も宮殿内の至るところで、焼失してしまった天蓋が木造で組みなおされていることが確認できます。
しかし、さらに面白いのは、フランス革命以後の歴史です。イタリアからの特使は、革命勢力によって追放されます。革命勢力は、宮殿をどの様に利用したかというと、革命に敵対する者たちを監禁する牢獄として利用します。これを背景として、宮殿は「氷室塔の虐殺」(原語は忘れてしまいました)と呼ばれる事件の舞台となります。60人ほどが、ここで殺されたそうです。ナポレオン戦争が終息した後の1821年から、この「監獄」は、軍人たちの兵舎として利用されるために、「改造」という名目において、破壊を被ったようです。この無味乾燥の殺伐とした空気は、冬のせいだけではないのでしょう。監獄・兵舎という歴史もある。

つまり、この遺産は、話を聞きながら、ガランとした空間に歴史の痕跡を見つけていく…という見方をしないと面白くないんですよね。

長くなりました。

最後に、アヴィニョンからリヨンを経由し、ディジョンに戻りました。
tel_20110109161002.png
僕らの今回の旅行は、順番で言えばアヴィニョンが最後、これで終わりです。

しかし、旅日記は終わらないっ!!! 大した写真なかったなぁ、と思って飛ばしてしまったトゥールーズの夜の写真たちも捨てたもんじゃないな、と思い直したので次回トゥールーズについての写真をアップすることを中心に番外編を作る予定です。「歴史的遺産を訪れる」という今回の旅の大筋からは外れているんだけどね。

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アヴィニョンとローヌ川 地理的条件 旅日記:2010年12月29~30日 アヴィニョン2

なぜ、この街が繁栄したか?繁栄のキッカケのひとつに教皇の移住があることも事実なのですが、それ以前の繁栄に地理的な条件が挙げられます。まず地図を見てみましょう。グーグルマップから拝借。
plan.png
アヴィニョンは、ローヌ川を通じて、地中海に出ることが出来ます。ここは交通の要衝として早くから国際的な都市として、商人たちが行き交ったようです。今でもフランス有数の都市のひとつ、マルセイユ(ラテン語名はマッサリア)との通商関係も結ばれていたようです。

なお、アヴィニョンの対岸には、Villeneuve les Avignon という町が広がっています。Villeneuve は、訳すなら、「真新しい町」、要するに「新市街」というわけです。その名前に背き、この町にも歴史的遺産が広がっています。元は、アヴィニョンの劣悪な環境を嫌った枢機卿たちがこの地に町を築いたのだとか。Villeneuve からも、教皇庁を臨むことが出来るようです。僕たちは、時間の都合上行くことが出来ませんでした。アヴィニョンに滞在する予定のある人は、Villeneuve まで視野に入れるといいと思います。

また、戦略・防衛の面でも、重要な自然の要塞として、ドン岩壁の存在が挙げられます。ドン岩壁はローヌ河に近接し、自然の要塞を築いていたようです。このドン岩壁を中心として、街は発展していきます。教皇庁があるのもこの岩壁の上です。
trou.png
こんな感じ。矢印をつけたのは、現代になってから開通したトンネルです。この岩壁の歴史的重要性を理解してかのことかどうかのは分かりませんが、一応開通した年号が記銘されていました。

さて…、ポン・デュ・ガールの観光から、アヴィニョンの街の中に入ったのは夕方から夜にかけて、でした。とりあえず、夜の教皇庁を訪れることにしました。「最大のゴシック様式建築」と呼ばれるだけのことはあって、威厳を感じられたのですが…
palais des papes
しかし、何かおかしい、違和感がある…、と思ったら、原因はこいつでした(赤矢印)。これ、何だと思います?


eacute;leacute;phant
ゾウ!しかも何故か逆立ちしてるし!教皇庁の前の広場にドーンと逆立ちされてもなぁ…。よく分らんわー…フランス人のセンス。そういや、このアングルで教皇庁を臨む広場では、夜に若者たちが、音楽をかけながら、ブレイク・ダンスの練習をしていました。ヨーロッパ中世最大の権威の象徴の前のひとつで、ブレイク・ダンス。この対比が面白かったのですが、残念ながら写真には収めませんでした。彼ら地元民にとっては、遺産と共に暮らすのは、当たり前のことなんだよなぁ…なんて思ってしまいました。まぁ、これは京都や奈良の他、日本の何処にでも言えるか。

次の日。ローヌ川対岸に渡ってみて、アヴィニョンの街を一望してみました。
avignon 2
天気がなぁ…、この辺もヨーロッパは観光に限れば、夏がいいと言われる所以でしょう。
avignon.png
聖ベネゼ橋(アヴィニョン橋)を臨むアングルで一枚。ドン岩壁の戦略的重要性がよく分るかと思います。

聖ベネゼ橋。
saint benezet
この地を交通の要衝として北方の陸地とのアクセスのために作られた橋です。1226年、アルビジョワ十字軍の際に、橋の第4アーチまでが壊され、それ以後も修復が試みられますが、ローヌ川の度重なる氾濫のために、17世紀にはこの修復が最終的に放棄されたそうです。
pont de Saint Beacute;nezet
しかし、この静かなローヌ川を見ていると、また、堤防の低さを考えると、この川が氾濫するというのは、どうも日本人の僕には想像しにくい。そんなことを考えている時に、ある日本人が同じような考えを述べている文章に出会ったので、引用しておきます。その日本人とは、和辻哲郎。もっとも、これはイタリアの河の話ですが…

大雨がいかに少ないかを示す直接の証拠は河の堤防である。大雨によって急激に増水する怖れのあるところには、堤防は高く頑丈に築かれる。しかし自分はこの種の堤防をほとんど見たことがなかった。イタリア第一の大河たるポー河は、なるほどその下流においては堤防を持ってはいる。しかしアルプスの湖水から流れ出て水量の豊富をもって有名な大河としてはあまりにも貧弱な堤防であった。(和辻哲郎『風土』岩波文庫 p.110)



滞在中にそのポー河が洪水を起こしたというので、和辻は見に行って、次のような所感を続けます。

(洪水のあまりに緩やかな様子について)なるほどこれも洪水には違いない。浸水した畑や牧場は、排水困難のために、全然荒らされてしまうであろう。しかし自分は思わず滑稽な感じに打たれて笑い出さざるを得なかった。我々にとっての洪水は、奔騰する濁流が堤防を突き破って耕作地に襲い入り荒れ回ることである。そのすさまじい感じはここには全然見られぬ。(ポー河の)何十年来まれな長雨の際の洪水がこれである。平年の穏やかさは推して知ることができるであろう。(同上 p.110‐111)



和辻のこの著作は、もう「古典」と呼ぶべきもので、様々な方面から批判があるものだとは思いますが、僕はこの箇所にはなるほどな、やっぱりそう思ったかと共感いたしました。

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地上最悪の「悪臭」の町 旅日記:2010年12月29~30日 アヴィニョン1

結局記事が長すぎるらしく、3分割することにしました。見にくくて申し訳ありません。

アヴィニョン。天気のせい、もっと見回れるところがあるのに時間の足りなかったせいもあって、いまいち物足りない写真ばかり残りました…。出来るだけ脱線してみます。

まず、アヴィニョンには、夏来るべし!そのことを端的に示している写真が↓。
rhone.png
これは、ローヌ川の渡し舟(無料だったはず)の運行時刻表なのですが、冬と夏の間のやる気の落差を見てください。
kannban.png
・1月1日~2月15日 完全に休み。
・2月16日~3月31日 水曜日と土日祝日に運行。
・4月1日~6月31日 5月1日除く 毎日運行。
・7月1日~8月31日 毎日(しかも夜9時くらいまでやってるし、休憩時間なし)。
・9月1日~9月31日 毎日
・10月1日~12月31日 クリスマス除く 水曜日と土日、祝日。

他にも、夏になると演劇祭が催されたりします。アヴィニョンには夏来るべし。しかしながら、冬に来てもこの街は多くの観光客で賑わっていました。夏になると旅行客で溢れかえることになるのは予測がつきます…。この街は、観光の街としての自覚は高く、駅から歩いて数分のところにある観光局にいくと、日本語の街の見所を紹介したパンフレットが用意してあったりします。

この街の観光客を招く積極的な姿勢は、こんなところにも伺えます。これは渡し舟の運行時刻表の下に偶然写っていたものなのですが、この街の実情をよく言い表していると思います。拡大しますと…
crotte des chien
鋭い方はすぐにお気づきでしょう。「私はアヴィニョンが好き。私の犬も好き。だから、拾います。」何を拾うのか?食事中の方はごめんなさい。これは、犬の排泄物について書いてあるんですよね。フランスに来たことがある人は、愛犬家がお犬様のアレを道端に放置していることには、閉口させられたことでしょう。うっかり歩いていると、グチャっと踏んづけることになります。もし踏んづけても、悲観することなかれ!フランスには「犬のアレを踏んだものには幸運が訪れる」という迷信があります。踏んづけても、大手を振って歩きましょう。

この看板を見ているとビックリしたのですが、これ…どうやら、犬のアレを拾うために、アヴィニョン市がどうやら、そのための袋を配っているようなのですね。ディジョンに帰ってきてからこの看板に気づいたので、注意してアヴィニョンを歩いていなかったのですが、どうやら街のいたるところに袋の配布ボックスが設置してあるのだと思います。しかし、効果はいかがなものか…、ローヌ川の周辺を散策中に何度もアレを見たぞ…。

さらに看板に突っ込み入れておくと…、看板下部の、袋の使い方が図示されていますよね。犬のアレを拾うのはいい、大いにやってくれ。しかし、図示の最後…
poubelle.png
これ、ゴミ箱なら何処でもいいのかよ!と思いませんか?持ってかえって、家庭で処理するとか、ちゃんと書かないのかよ!と突っ込みたくなったのは僕だけでしょうか?もっとも、フランスでは犬と一緒に旅行するのも簡単な国なので、フランス人の国内旅行者には、「家庭で処理する」というのも無理な話。どこかで捨てないといけない。どなたか、アヴィニョンの公共スペースに置いてあるゴミ箱を漁ってみてくれる勇者はいませんかね…たぶん「犬の糞」が見つかるのではないかと思いますが…。

これがうまく行っているのかどうかはさておき、行政レベルの観光街としての自覚は高いことが伺えます。

いやね、何でこんなに「アレ」の話で引っ張るかというと、これは想像に過ぎないのですが、「アレ」の話は、アヴィニョン市全体の歴史的なトラウマだと思うんですよね。というのも、後述する教皇庁や、聖ベネゼ橋(アヴィニョン橋)の説明を聞いてみると、この有名な観光地は、中世から早くも、ヨーロッパ世界の有数の街のひとつとして繁栄していたからなんです。繁栄していた、ということは、勿論、人が多くいたということに他なりません。人が集まれば、当然「アレ」の処理の問題が起きてきますよね。ところで、ご存知の方も多いのではないかと思いますが、ハイヒールの起源は17世紀初頭のフランスだと言われています。なぜ、あの靴は、あんな不自然な形になったのか?それは、道端に転がる「アレ」を踏んづける面積が最も少ないように!という悲壮な決意が込められてるそうです。踏んづけることが前提で作られた靴というほど悲しいものはない…と思うのは僕だけでしょうか。昔は、犬ではなく人間様の「アレ」も屋外に捨てられていたんです。さて、ここまで、汚い想像を掻き立てておけば、次の引用がアヴィニョン市のトラウマになっているのではないか、ということが頷けるかもしれません。アヴィニョンを訪れたペトラルカは街の印象をこのように綴っています。

「数ある町のなかでも最もおぞましい町、恐ろしく風が強く、建物が不恰好に並び、居心地が悪く、生者の地獄」、「地上にある町のなかでも最も悪臭のひどい町」(「観光ガイドブック――教皇宮殿」より;7€、日本語版あり、教皇庁内のお土産屋さんで買えます)

地上最悪の「悪臭」の町。悪臭の原因は、人間様の営みであることは容易に想像がつきます。実際に、中世に幾度と猛威を振るったペストが蔓延する一因として、不衛生・人口過密などが挙げられるのはご存知でしょう。アヴィニョンも、この伝染病の犠牲になった街です。
勿論、これは過去の話。アヴィニョン市民の名誉のために言っておきますが、アヴィニョンは綺麗な街でしたよ。

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神聖な落書き

記事とは関係ないけど、ブログに色々変化が出たり、小細工をしました。
アクセス・カウンター:細々とやっているブログですが、それでもアクセス・カウンターが増えると嬉しいもんです。が、しかし、なぜか分んないんだけど、先日カウンターが600くらいゴッソリ消えてて萎えました。まだ1000ちょいのアクセスしかない、無名のブログなので、比率として600はなぁ…大きすぎるわ。ま、それでもめげずに続けていきます。
ブログ・ランキング:ブログ更新の実情にあわせ哲学の項目を外し、代わりにフランス情報に参戦。読書は哲学関係のが多かったりするのだけどね。
アフィリエイト:半年間自分でも驚くくらいマメに更新が続いたし、流行?のアフィリエイトってやつに一応参加してみました。更新してちょちょいっと広告のっけとくとお小遣いが手に入るってあれ。うーむ…、登録してみたはいいが、何かややこしそうだぞ…。オチはフランス番長と同じく「向いてない」になる予感がしているが…。ともあれ、フランス語の学習に役立ちそう、と思った本はアマゾンさんの広告もチョイチョイって載せてみようかなぁなんて思ってたりもしますけどね。
メール・フォーム:作ってみました。まぁ大抵はコメント欄で足りると思いますが、疑問・質問・このブログの改善点等のご指摘がありましたら、こっちでもどうぞ。

さて、本題。

アヴィニョン観光中に気づいた落書き。

フランスでこんな落書きを見たことありませんか?
Inri 2
これには、ちゃんと由来があるらしい、ということに気づいたのは、アヴィニョンに来てからでした。
この人…そうキリスト。
jesus.png
彼の頭上のプレートを見てみると、こんな風に書いてあります。Inri.png
いや、僕も最初はこれがタダの落書きだと思ってた。でも、この像を見たときに、あっ…これ何かの略語だと気づかされました。ちょっと最初が切れてしまってるのですが。

I.N.R.I ラテン語で、Iesus Nazareus Rex Iudaeorum 「ユダヤ人たちの王ナザレのイエス」という意味で、キリストの十字架につけられた罪状だそうです。十字架にこの落書きがしてあるのを何度か見たことがあって、引っかかってたんですよね…。

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旅日記:2010年12月29日 ポン・デュ・ガール

早く旅日記を終わらせてしまいたいので、続けて更新。

ローマ時代の遺物、ポン・デュ・ガール。

あいにく、これまで晴天に恵まれていましたが、この日からはフランスの冬らしい天候にまた逆戻り。このためもあって、また写真の圧縮具合も手伝って、この遺物の大きさを伝えるのには、あまり良い写真ではないなぁと思いつつも、とりあえずアップしてみます。

珍しく僕が写真に写ってます(赤丸)。
boku.png
これは山間を貫く水道橋。
pont 4
水道橋ということは有名でしょうが、それほど高い山ではないとはいえ、まさか山間に架かっているとは想像すらしていませんでした…。
pont 5
とにかく大きい!の一言。今現在でも人が渡ることができます。
pont 3
見事なアーチ。全て石で出来ています。木組みを作り、そこに石を積むという作業をして完成させるそうです。
pont 2
pont_20110106082125.png
水道橋というからには、勿論、水の流れる通り道です。水は普通、下から上には流れない、ある程度の勾配を必要とします。写真じゃ分らないと思うのですが、南西の方向に向かって橋はごくわずかに傾いてるんです。原理は単純で、高いところから低いところへと水を送っているわけです。

何処から何処に送っているのか???

さて、この橋の立地条件を見てみましょう。広域でどのくらいの位置にあるのか。恒例となりました、グーグルマップ様から地図を拝借。これまでの旅路と大都市をオレンジ色で囲い、水源と目的地を青色で塗り分けました。またしても切れてしまったので、よく見たいという方はクリックをお願いします。
plan
南仏は、早くから、ローマ帝国の傘下の都市として、発展してきたため、ローマの建造物が数多く残る地域です。先述のカルカソンヌも起源はローマの城塞でした。そうして発達した都市のうちのひとつに、ニーム(Nîmes)という都市があります。

ニームには、橋の建設以前にも、豊かな水源があったそうですが、帝国はその栄華を誇示するため、またニームを更なる発展に導くために橋の建造を決定したそうです(ポン・デュ・ガール博物館の説明より)。ローマには公衆浴場があったりと、早くから豊富な水資源を利用できた、というのは、またしても高校の世界史のおさらいでした。

さて、「高いところから低いところへ」水を流す。水源とニームの関係です。水源となるのは ユゼス Uzés という町。ここの泉から、ニームまで、その間なんと約50キロメートル!直線距離でも30キロメートル近くあるところを、恐らく山間を通すという困難な条件のためなのでしょうね、大きく迂回させて、下のようなルートが選択された、というわけです。実際、博物館の資料を読むと、3つのルートに絞り込み、これをさらに検討した、という記述がありました。これを考えると、ローマ人たちの測量技術と建築技術のレベルの高さを改めて思い知らされました。
すいろ

地形を見るために、グーグルを航空写真に切り替えるとこんな感じですね。
photoeacute;eacute;eacute;
何故か日本語表示ですが…。これを見ると、ちょっとした疑問が湧いてきて、「はて、ユゼスの水源はどこなのだろう? 泉 Fontaine と書かれていたから、探せるかな」と思ったのですが、それらしいものが見つからない…。どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授願います。ちなみに、橋そのものも航空写真で見れますよ。蛇足ですが、この地図の日本語表記は「ユゼ」となっていますが、「ユゼス」が正しいようです。

さて…幾つか細かい情報を記述しておきます。

車で来た場合、川の北側と南側両方に駐車することが出来るようです。ここの駐車料金、ビックリするほどの金額をとられました…15€だったかな。なお、博物館があるのは北側です。

博物館のチケットも、それなりに金額がするはずなのですが、僕たちは何故かタダで入れました。よく分からないのだけれど、誰も応対する人間がいないのに、博物館が開いていて不思議でした…。もしかしてストライキ中だったのでしょうか…?訳が分りません。いずれにせよ、タダで見させて頂きました(ごちそうさま)。

この博物館の内部は中々充実した説明がなされていて、勉強になったのですが、記述は全部英語とフランス語です。職員がいないせいで、日本語のガイドか何かあるのかは全然分りませんでした。博物館の中に入ることは是非お奨めします。でなければ、橋を見るだけで終わってしまう遺産です。大事なのは橋の続きを想像してみること!だと思います。

次回はアヴィニョンです。

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旅日記:2010年12月28日 城塞都市カルカソンヌ

今回の旅の山場、カルカソンヌ。なぜ山場なのか?理由は単純。僕のお気に入りだからです。

カルカソンヌへ行ってきた、と語学学校の先生に言うと、「ほほーぅ、やるなこいつ」という顔をされます。世界的にとんでもなく有名というわけでもないけど、知ってる人は知っている、という感じなのかなぁ。もしフランス南部に旅行をされる方で日程に余裕があるなら、立ち寄ってみる価値は十分にあると思います。後日書くことになる、より有名な観光地アヴィニョンより、僕はこっちが好き。アヴィニョンも面白かったけどね。

カルカソンヌ???耳慣れぬのぅ…どこじゃ、それは?という人のために、いつも通り、グーグル様から地図を拝借。
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フランス南西部に位置します。見てお分かりの通り、ピレネー山脈からさほど遠くありません。このため、17世紀中葉に、スペイン‐フランス間の国土問題が「解決」する以前には(今も、バスク地方とか問題がないわけじゃないのでカギ括弧に入れておきます)、戦略的な要衝だったことが伺えます。

歴史は古く、ローマ時代に遡ります。

何がともあれ、まずはその大きさを見ていただきましょう。
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カルカソンヌの町は、川を挟んで2つに分かれます。市役所などが置かれている、つまり地元住民の生活の要地ともなる中心街と、城壁に囲まれた町です。後者は「シテ」と呼ばれており、人も住んでいるのだとは思いますが、こっちは専ら観光地です。これは、中心街から撮った写真。丘の上に屹立し、城内から中心街を一望することも出来ます。

ちょっと脇に逸れますが、この写真を撮れたのは、運よくコイツがあったから。
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そう!観覧車。これは、クリスマス市の一環で設置されたようで、常設の代物ではないようです。

これに乗ったら、ちょっとしたことがありまして…それが、これ。
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シートベルトも何にもない、吹きさらしのオープン観覧車。結構揺れます。まぁ、シートベルトないのは、動かなきゃいいだけのことですが、それでも「ここから落ちるのは、とても簡単だよなぁ、落ちたら間違いなく死ぬよなぁ…」なんて考えたら、ちょいとばかり落ち着きません。

極めつけが、これ。乗降口。
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上昇中でも内側に向かって開きます。おいおい…人が落ちたらどうすんだ!と思いましたが、まぁ、落ちようと思う意思を持った人間でなければ、落ちることはない!ということを信頼して設計されてるのかなぁ。日本の安全基準をクリアできるのかは、はなはだ疑問です。乗り込んでしばらくしていたら、「座っていろよ」というフランス人のお父さんの声が…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

さて、城の中へ。入場料を支払ったときに、やはりここは観光地と思わされたのは、窓口横に日本語で印刷されたパンフレットを見かけたことですかね。
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城壁は内壁と外壁の2層で出来ています。その間の写真がこれ。

これも、内壁と外壁の間。このスケールの大きさには圧倒されました。
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人が同時に写っているので、大きさの比較になるでしょうか。

「シテ」(都市)と呼ばれている名前の通りに、家々が軒を連ねているのがお分かりでしょうか。
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もう一枚。
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写真の奥には、反対側の内壁と、教会が見えるのですが、お分かりになりますでしょうか。

城壁の上から中心街を望むとこのようになります。
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川と橋が臨めるアングルで一枚。

ここで確認のため、もう一枚グーグルマップ様から拝借。
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シテと中心街の位置関係です。間に川が通っているのが確認できます。この川は、昔はシテ内部の水源となっていたようです。その証拠に、城壁外に出なくとも、川辺までたどり着けるように、外壁から通路が伸びていたらしいのですが、今は壊されて途中までしかありません。つまり、篭城戦になっても最重要である水源は確保できるように築かれていたのだなぁ…などと想像力は膨らみます。

これ、分るかなぁ…、外壁から突き出している階段状になった通路が川べりのほうに伸びているのですが。
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カルカソンヌの歴史を大雑把に述べておきますと、
ローマ時代から建設が始まり、古くから城塞としての機能を果たします。地方領主もこの堅牢な城塞を利用して、独立を保っていたようです。13世紀には、キリスト教のカタリ派と呼ばれる異端を支持していたために、十字軍の討伐の対象(アルビジョワ十字軍の一環)となり、虐殺の舞台となったようです。十字軍の名目は、聖地エルサレムの奪回だけではなく、「異端との戦い」。同じキリスト教徒同士が血を流し合ったようです。こうやってフランスの地方を見回ると、教皇の世俗への支配権が絶頂に達する前後で、十字軍が組織され、それにより地方領主は疲弊し没落。また、遠征の失敗により、教皇権にも翳りが見られだします。逆に王権は強化され、中央集権の体制が整っていく、という高校の世界史の説明が改めて納得できました。

この地が王の支配地とされてからも、戦略的な要衝としての機能は続きます。三十年戦争(1618~1648年)の最中、フランスはスペインとの国境画定戦争を同時に併行させていました。その終結に結ばれた1659年のピレネー条約によって、スペインとの国境がピレネーに定められます。それにより、この城塞はその戦略的重要性を失い、人々は最終的にシテを離れることになります。なお、中心街の発展は、比較的平和なときに、シテから下りた人々が建設に携わり、有事の際にはシテに篭る、といった歴史を繰り返したそうです。

そうして荒廃した城を、修復するようになったのは、19世紀後半からです。フランス革命において「アンシャン・レジーム」(旧体制)を表し、中世的権威を象徴するもの、すなわち、教会等の建造物が、破壊・略奪の対象となりました。この城が革命でどの様な被害を被ったのかよく分りませんが、少なくとも、フランス全土でこうした建造物の価値が省みられるようになったのは、1830年以降のことだそうです。


いつも通りに、最後に教会について。歴史は古く、6世紀、東ゴート王国の時代に建造され、10世紀には本格的に教会として機能し始めました。その後、改築を重ね、ほぼ現在の様式になったのは、1269年から始まる改修だそうです。この教会には、その歴史が印刷されている紙(20セントの寄付と交換)が置かれてあり、その言語のうち一つに、またしても日本語訳がありました。うーむ、やはりここは観光地なのだなぁ。
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内部。フランス革命のとき、ここも略奪の対象になったのかな?
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次回は、ポン・デュ・ガール。ここはアクセスが悪く、車がバスで行くしかないところです。今回のレンタカーを借りて南部を回る、といった目的にピッタリの場所です(道中、迷ったけどね)。

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旅先の食べ物 : 2010年12月27・29日 トゥールーズ・アヴィニョンにて

ひたすら旅日記を綴ります。今日は食べ物編。

27日トゥールーズの夜と、29日アヴィニョンの夜に立ち寄ったレストラン写真を選んでみました。

トゥールーズの夜。Gascon と呼ばれる、地元では有名?なレストランに入ってみました。宿の受付で教えてもらい、鴨料理で有名だ、とのこと。ボルドーやベルジュラック、トゥールーズの一帯は、確かに鴨を出すレストランが多いです。アントレ(前菜)、プラ(主菜)、デザートの3皿で17€でした。

多分、ほぐした鴨肉を使ったサラダ。他にクルミ、干しブドウが使われていました。
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フランス語の名前を忘れてしまいましたが、この地方の伝統的な料理、要するに鍋料理です。ソーセージと白いんげん豆を煮込み、鴨のコンフィ(油でじっくり揚げた鴨の脚)がドンっと乗ってます。写真は2人前。同伴者の説明いわく「昔の戦士はこれを食べていたから強かった」とのこと。これでもかっ!というほどのたんぱく質がとれそうです。うむ…納得。
casselet.png

デザート…こいつは罠でした。「プルーン」と店員さんが言ったやつを頼んだら、ホントに飾りっけも何にもない、プルーンがドン!まぁ前の料理から想像は出来ましたが…。しかもこのプルーン、コニャックか何かのお酒に漬かっていて、アルコールがかなりキツイ…。この店、子供が来たらこれをデザートとして出すのか!?と疑わずにはおれませんでした。
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アヴィニョンのレストラン。正確な名前は忘れてしまいましたが、le Chat .... という名前で、看板に猫の絵が描いてあるお店です。厨房に立っているのは、マダム独りで、家庭の味が出てくるのかなぁ…なんて期待していましたが、予想以上に細やかな仕事ぶりで、満足しました。下の写真は22€のメニューで、前菜・主菜・デザートの3品です。

前菜。アサリをつかったペースト状のものをパイ生地で包んで焼いたもの。何のペーストか分りませんが、アサリが入っているので、クラムチャウダーに近い味がしました。
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主菜は皆がそれぞれ別のものを頼んだので、色々写真に撮ることが出来ました。

ロールキャベツに近いけど、煮るのではなく、焼いてある料理。ハンバーグのような料理をこんがり焼いたキャベツの葉で包んだ料理です。
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僕が頼んだのはこれ。Aiguillette de canard という名前で、訳すなら、鴨の胸肉の薄切り。トゥールーズでも鴨食べてましたが、またしても鴨!僕は鴨好きです。鴨ばっかり食べてると、飽きるどころか、逆に日本料理の鴨のじぶ煮が食べたくなります。これは石川県の料理。わさびと出汁と鴨肉が合って美味いんだよな…。
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St-Pierre という魚のソテーと、かぼちゃのグラタンみたいな付け合せの料理。
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さて、デザートは2品に分かれました。

これは何だったかな…思い出せません。
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僕が頼んだのはこれ。Macaronade といって、要するに、でっかいマカロン。と、白チョコが練り込んであるアイスクリーム。
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トゥールーズのレストランとは、好対照というしかない…。前者が「男の料理」で、食えっ!どんっ!という感じなのに対し、アヴィニョンのは、厨房に立っているのは一人ながら、細やかな仕事ぶりに感心してしまいました。

アヴィニョン行ったときには、このレストランは、手ごろな値段ということもあり、お奨めできるかなと思います。名前が正確に思い出せないのが残念ですが…。勿論、男子(と大食の女子)にはトゥールーズの Gascon もお奨めしますよ。ドンっ!食えっ!ってのが好きな人にはね。

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次回は城塞都市カルカソンヌ訪問について書きます。

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不規則動詞活用のコツ:上級編 単純過去のおぼえ方 覚書

写真をアップしようとしたら、寮のポンコツサーバーの容量を超えているらしく、上手くいきませんので、別の記事を書きます。

久しぶりに動詞活用の話。単純過去の動詞活用の整理。単純過去は今日ではあまり頻度の高くない時制ですが、全く使われないわけじゃありません。先日もアヴィニョンに行ったとき、アヴィニョン橋の歴史の説明を読んでいたら、バッチリと単純過去が使われていました。やっぱり知らないと、と思い記事にしてみます。

新年早々、勉強の話ですいません…。しかし、写真がなければ他にネタがない!

※今回の記事は、タイトル通りある程度フランス語を学んでいる人向けです。従ってご容赦願います。

不規則動詞の単純過去の僕個人の暫定的な整理法は(今後書き直す可能性あり)、以下の3パターン(+例外)にまとめられるでしょうか。

1.過去分詞型
2.過去分詞変音型 過去分詞の u が i 音に変化 
3.i 音型
4.ほんとに不規則型

1.過去分詞型
過去分詞をそのまま用いて活用語尾をつけるタイプです。
avoir, pouvoir, savoir, vouloir, prendre, mettre などがこれに当てはまると思います。

・avoir

j'eus / nous eûmes
tu eus / vous eûtes
il eut / ils eurent

過去分詞 eu + -s, -s, -t, -mes, -tes, -rent というように出来ているのが伺えます。
savoir, pouvoir, vouloir, devoir, vivre, boire, valoir など、
かなり多くの動詞がこのパターンに収まるかと思います。

なので、過去分詞をちゃんと覚えていたら、単純過去はそんなに怖くない!はずです…

・prendre の 過去分詞は、pris ですので…

je pris / nous prîmes
tu pris / vous prîtes
il prit / ils prirent

過去分詞に現れる s を除いた残りの部分に活用語尾をつけているのが伺えます。mettre も同型の変化です。

・dire もこのタイプに含めることが出来るかもしれません。

je dis / nous dîmes
tu dis / vous dîtes
il dit / ils dirent

単数人称は、現在形と同じ形なので注意が必要です。


2.変音型

これも結構多いと思います。
過去分詞にあらわれる u の音を i に変化させて作るタイプです。

典型的な動詞は、entendre タイプの動詞。

・過去分詞は entendu ですが…

j'entendis / nous entendîmes
tu entendis / vous entendîtes
il entendit / ils entendirent

・rompre も rompu と過去分詞はなりますが、

je rompis / nous rompîmes
tu rompis / vous rompîtes
il rompit / ils rompirent

・voir は、このタイプに入れられるのかもしれません。

je vis / nous vîmes
tu vis / vous vîtes
il vit / ils virent

単数人称は、vivre の現在形と同型になるので注意が必要です。

・battre もこのタイプですかね。

je battis / nous battîmes
tu battis / vous battîtes
il battit / ils battirent

・vaincre convaincre といった厄介な活用動詞もこのタイプだと考えます。

vaincu, convaincu が過去分詞ですが、「キュ」の発音を、「キ」に変えているため綴りが変化していると考えられます。したがって…

je vainquis / nous vainquîmes
tu vainquis / vous vainquîtes
il vainquit / ils vainquirent

となります。


3.i 音型

・plaindre, peindre, joindre などのタイプの動詞は全て i 音の語尾をとります。これはある意味規則的です。半過去形と同型 + i + 活用語尾をつけると考えます。

je plaignis / nous plaignîmes
tu plaignis / vous plaignîtes
il plaignit / ils plaignirent

je joignis / nous joignîmes
tu joignis / vous joignîtes
il joignit / ils joignirent

・conduire, construire, séduire などは次のホントに不規則の例外に入れようとも思いましたが、一応このタイプに分類しておきます。これらも、半過去形と同型の語幹に i を加えて作るからです。また écrire もこのタイプに入れることにします。

je conduisis / nous conduisîmes
tu conduisis / vous conduisîtes
il conduisit / ils conduisirent

j'écrivis / nous écrivîmes
tu écrivis / vous écrivîtes
il écrivit / ils écrivirent

4.ホントに不規則型
とりあえず、今のところ3つの動詞は本当に不規則だなぁ…と考えています。

être, faire, naître の3つだけ。もしかしたら他にもあるかもしれません。

・être

je fus / nous fûmes
tu fus / vous fûtes
il fut / ils furent

・faire

je fis / nous fîmes
tu fis / vous fîtes
il fit / ils firent

この2つは混同しやすいので注意しましょう。

・naître

je naquis / nous naquîmes
tu naquis / vous naquîtes
il naquit / ils naquirent

これは意外な活用をします。
connaître は 1の過去分詞型に当てはまるので、ちょっとヤヤコシイです。

まとめ

このように整理してみると、単純過去を覚えるという作業は、どの動詞がどのパターンに当てはまるか、分類していくだけで、グッと簡単になるかと思います。繰り返しますが、かなりの動詞が1の過去分詞型に当てはまるので、まずは過去分詞をしっかりと把握しているということが、やはり大前提となります。その上で、気をつけるべき活用を押さえていくという作業をすると、効率がいいと思います。

全ての活用パターンを見ていくと、規則動詞をも含め、a, i, u + 単純過去の活用語尾をつける、という形で出来ていることに気づきます( a :一人称単数だけは ai となります)。となると、かなり簡略化すれば、母音 a, i, u の3パターンを覚えればいいだけで、単純過去は楽勝!となるかもしれません。さらにいえば、a をとるのは、第1群規則動詞だけなので、i と u の違いだけに注目すればいい!こんな簡単なことはないっ!(「そんなにうまく行く訳ねーよ」という反論は適宜大歓迎です)。

気をつけるべき動詞を他にも挙げておきますと…

・plaire と pleuvoir 
共に過去分詞 plu から作り、3人称単数形が il plut と同型になります。

・croire と croître, accroître
共に過去分詞から作りますが、
croire は je crus になる一方で、
croître は je crûs になり、アクサンがつきますので注意。
しかし accroître は、 j'accrus になるのでさらに注意が必要です。

・soustraire, extraire といった -traire で終わる動詞
なんと!これらには単純過去形そのものがありません。
語源が他の動詞と違ったりするのかもしれませんが、詳しいことは分かりませんなぁ。
これを利用すれば、フランス人相手にイジワルな問題を吹っかけることが出来るのかもしれません。
「soustraire の単純過去はなーんだ?」と。僕はこんなイジワルしたことないですが。

おっと、少しマニアックだったかな…。
しかし、これを知っていたら、19世紀以前の大作家たちの文章も怖くないっ…はずです。

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今回の記事は、自信あり!なので、初めて真面目に記事にバーナーを貼ってみました。
いや…マニアック過ぎて、誰も最後まで読まない可能性のほうが高いなんてことは考えないようにします…(汗)

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旅日記:12月26日 サンテミリオン

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

年が変わっても、ブログは相変わらず去年の出来事、旅日記を当分の間続けていきます。
写真の加工やら、調べごとやら、色々ありますので、ちょっと時間がかかります。

12月26日サンテミリオン (Saint Emilion)。この日は晴れて絶好のドライブ日和でした。まずは、サンテミリオンの位置から。いつも通りグーグル・マップ様から地図を拝借。ちょっと切れてしまったので、クリックお願いします。
さんてみりおん
ボルドーから、車で約40キロ。観光地なので、電車も通っているみたいですが、アクセスの良し悪しはよく分りません。

この町の周囲には、何があるか?実は、何もないです、ブドウ畑以外には。当地の観光案内所の地図を見てみると…
Sans teacute;mis lion
こんな感じです。ブドウ畑の所有者(シャトー)の位置に家のマークがついています。ここはワイン作りで有名な町だそうです。観光とワインの町。ここの景勝はユネスコの世界遺産にも登録されているそうです。ここに来るまで、僕はこの町のことは全く知りませんでした。一方、日本のフランス好き・ワイン愛好者たちにはよく知られているそうで、ワイン屋のオッチャンいわく「夏は日本人いっぱい来るよ」とのこと。また、高級ワインを扱っているお店では、クロネコヤマトのステッカーが貼ってあり、日本への取引が多いことが伺えます。

これはボルドーの畑から向かう途中の写真。
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サンテミリオンの中心街の入り口に向かうまでの沿道に見える景色を2枚。
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町の中には、古いお城(「王の城」Ch醇Cteau du roi)が残っていて、そこから見える景色を数枚。お城の正確な由来は失念してしまいました。後日、現地でもらった資料が出てきたら、加筆・修正することにいたします(ここのお城、入場は有料です)。
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ワイン畑と、町を同時に一望できます。この景勝は、確かに世界遺産の価値がある。写真では残念ながら少し分りにくいですが。
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家屋の屋根の色もまたこの景色に一役買っているのかな。
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ここのワイン組合は、1199年、イギリス王によって作られたそうです。以来、イギリス王は、組合の特権を享受していました。この関係は、フランス革命まで続きます。
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やはり冬のヨーロッパは、太陽の位置が低く、影が多くなってしまうのがちょっと残念です。夏ならば、太陽に十分に照らされて、さらに見晴らしの良い景色を臨めるかと思います。

さて、教会。小さい町にも立派な教会でした。歴史は古く、6世紀、東ゴート王国の時代に建造され、10世紀には本格的に教会として機能し始めました。その後、改築を重ね、ほぼ現在の様式になったのは、1269年から始まる改修だそうです。(訂正1月4日)
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この教会には、その歴史が印刷されている紙(20セントの寄付と交換)が置かれてあり、その言語のうち一つに日本語訳がありました。うーむ、やはりここは観光地なのだなぁ。(訂正1月4日:これらはカルカソンヌの教会の情報でした。)
Eglise 2.5
Eglise 2
ステンド・グラス。
Eglise 3
サンテミリオンの歴史は、フランス南部が、「フランス」に統合されたのか、をちゃんと知らないと、またフランス革命の影響を知らないと、書けない部分が多いので、また後日調べる余裕があれば、加筆・修正します。これはボルドーにも言えるか。

27日トゥールーズは、28日のカルカソンヌへの中継地といった感じの寄り道で、あまり観光らしい観光はしていないので、次回の更新は途中で食べた物を中心にいたします。

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